平成17年
校長のよもやま日誌
2月



校長の甲斐切です。 どうぞよろしく。

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2月25日(金)
忙殺の1週間で、みごとに日記が書けなかった。明日は、ジャカルタ日本人学校のご帰国になる先生がたの 送別会の司会進行をお手伝いすることになっている。その原稿を書きながら、前回、日記に触れた 日本語の難しさにぶつかる。特に敬語の使い方。PTAが主催の先生がたの送別会で、おいでになるのは 先生方、PTA役員、学校の維持会、来賓、保護者のお母さん方…。どこが敬語で、どこが謙譲語か、かなり 頭を悩ませ、日本語教師であることに自信喪失。というより、日本人であることに自信喪失。


2月18日(金)
東京から日本インドネシア語検定協会の近藤由美先生がいらっしゃった。一緒にタイ料理を食べながら 話した内容は「ああ、勘違い」について。近藤先生は、小さいときに「月極(げっきょく)さんって、たくさん駐車場を 持っていて、なんてお金持ちなんだろう」と思っていらしたそうだ。すると、昨晩読んだ浅田次郎さんのエッセイの 中にも、奥様から「げっきょくさんてお金持ち」発言があったというくだりがあった。この割合からいくと、 日本人のかなりの数の人が、「月ぎめ駐車場」を「げっきょくさんちの駐車場」と思っていることになる。 このような勘違いは、ひとつの言葉に遭遇した時期と、それが正しくインプットされたかどうかが、重要な要因に なってくる。日本語教師も心してかからねば。


2月17日(木)
「日本語教師七転八倒物語」のバックナンバーのサイトへのUPが本日終了。10年前からの原稿を改めて読みな がらの作業は、ひとしきり懐かしい思い出に浸ることができた。


2月15日(火)
昨晩、スタッフの一人と食事にでかけた。バレンタインデーだというのに、女ふたりでしかも焼肉屋。 一緒にでかけたのは、JCCに最も長く勤めていてくれている今年33歳の副校長D先生。 早く恋人を見つけたいというのが口癖の彼女は、恋愛に関する質問をよくする。 今日の彼女の質問は、「日本では焼肉屋はデートにはふさわしいですか」。 ふむふむ、なかなか鋭い質問である。ちまたでは焼肉や鍋物など箸で同じ物をつっつき合う食べ物は、かなり親密に なってからでないと遠慮するという。また、お好み焼きと同じように、食べたあと身体中に匂いがついてムード激減と いう理由からも、焼肉は敬遠される。それを話すと、「インドネシアのサテ(やきとり)と同じですね」と彼女は笑った。 13人中、既婚者ゼロのJCCスタッフだが、先週そのひとりが8月結婚決定の知らせを持ってきた。 夢は「いい家庭を作ること」というD先生にも、いつかいい縁がめぐってくることを願う。


2月14日(月)
先週の土曜日の日誌を書くときに、歌のタイトルに自信が持てなくて、調べてみた。調べて良かった。 なんと、7曲中、4曲が間違っていた。ちなみに私の記憶違いは、「隅田川」かな「川」だけかも…と思っていた 「花」、「みかんの花咲く丘」は、「みかんの花」と確信していた。「もしもしかめよかめさんよ〜」は、当然「もしもしかめよ」 だと思っていたが、正解は「うさぎとかめ」。そしてかなりの割合で「赤とんぼ」は「夕焼け小焼け」と覚えている人が多いと思うが、 私も瞬間的にそう思った。「恋しく愛しく日本人であることを感じた」って書いたけど、これでも日本人? 私って。 


2月12日(土)
昨晩、スタッフと連れ立って「INSPI」という日本のアカペラグループの来イ・コンサートを聴きに行った。気持ちの 明るくなる元気な歌が続いたが、中盤にさしかかる頃、突然、じゃんけんを始めたメンバーが歌い出したのは、 日本の童謡・唱歌メドレー。「うさーぎ追ーいし、かの山、小ぶな釣ーりし、かの川〜」の「ふるさと」から始まり、「花」、「あんたがたどこさ」、 「みかんの花咲く丘」「うさぎとかめ」「静かな湖畔」「赤とんぼ」と、マリつきや手遊び、輪唱など交えて楽しく歌ってくれた。 日本人の私は、会場の中では圧倒的にマイノリティであったが、ごく自然に唇の先で口ずさんでいた。そして、「ふるさと」の 終わり頃では不覚にも涙してしまった。こんなにも恋しく愛しく日本人であることを感じたことは、もしかして ジャカルタへ来て初めてかもしれない。


2月11日(金)
昨日、一昨日と連休だった。辞書もテキストも開かないでボーっとしようと思っていたが、友人の本帰国記念に 素人独演会を催すことになり、その準備でパソコンに向かいっぱなしの2日間だった。だが、どこにも出かけないで家に いるのは、しなければならない事務仕事があっても、身体はのんびりできるらしく、けっこう心身ともに癒せたと思う。 そして迎えた今日。「今日は金曜日だよ」と、いくら身体と心に言い聞かせても、どうしても月曜日の気分になってしまう。 体内時計って、正直なんだか、いい加減なんだか。いずれにしても、明日は土曜日…。んー、やっぱり変な感じ〜!!


2月8日(火)
日本の姉から電話があり、知り合いの娘さんが泥棒に入られた話を聞かせてくれた。 その泥棒は頑丈なサッシ窓を割って押し入ったらしい。思いのほか、パトカーで派手にやってきた 警察の面々が現場検証を行なった結果、取られたものはカップラーメンとポテトチップスだけだとわかった。 日本って時々やけにへんてこな事件があるなぁ…と、久しぶりに笑わせてもらったが、考えているうちに笑いが 消えた。貴重品にいっさい手をつけて いないことを考えると、目的は盗みではなかったのかもしれない。留守中だったのは不幸中の幸いだ。 「カップラーメンとポテトチップスを盗んで帰るなんて、 よほどドアをこじ開けるのに体力を消耗してお腹がすいたんでしょう」と警察は言ったらしいが、取られたもの が、カップラーメンであれ宝石であれ、本人にとって大いなる恐怖に変わりない。すぐに引っ越しを決めたそうだ。


2月4日(金)
寄付していただいた日本のビデオを整理した。タイトルを思い出していて、「えーと、トトロって、なんのトトロだったっけ」 と言うと、すかさず教師のひとりが、「となりのトトロ!」と教えてくれた。さすが日本人と接している時間が長いと、 日本に関する情報も多くなるようだ。それにひきかえ、私はここのところ、よろずものごと忘却の彼方、 また、日がな一日事務所にこもってパソコンに向かっているせいで、 生きた情報に恵まれない。だがはたして、インターネットで瞬時に情報が得られるこの時代において、 生きた情報とはいったいなんなのか…と、急に、わけのわからないことを悩み始めたのはなぜかというと、 インドネシア語の単語帳を作っていて、頭が飽和状態だから。週末は辞書もテキストも開かないでボーっとしよう。


2月3日(木)
久しぶりに古典落語の本を開いた。東京にいた頃はよく寄席や落語会に出かけたものだが、こうして読んでみると まだまだ知らない噺が山ほどある。東京時代、しゃべりを生業にしていた私は、話の間合いの大切さや、 声のメリハリの活かし方などを、落語から勉強した。日本語教師になってからも、役に立ったと思う。そして今回は、 インドネシアで素人落語をするためのネタとして、「饅頭怖い」のパロディを製作中。 名付けて、「サテ怖い」。サテサテどんな話になりますことやら。


2月2日(水)
今朝メールを開いて仰天。ジャカルタで親しくしている友人からで、本帰国が決まったという。10年以上も 前からジャカルタに住み、立上げから今に至るまで大きな会社の取りまとめをしている人で、本帰国とは縁がない と思い込んでいた。また、日々好きなことやりたいことに向かって精進している彼は、いつもみなぎるパワーに あふれていた。その人が日本へ帰る。寂しい。 いったんジャカルタに根を生やした人間は、友人を見送るのがさだめ。ほんとに寂しい。


2月1日(火)
日本は大雪という知らせが友人から入った。「そっちはちっとも寒くないんでしょうねぇ」と訊くので、「寒いよ、 エアコンの効き過ぎで」と返したら、歯ぎしりしてうらやましがった。姉からも、「屋根の上はゆうに10pの積雪」と 連絡があった。そして、「あの日も雪だったね」と。9年前の今日、広島にしては、めずらしくきれいな雪景色の朝、 父が亡くなった。働き者で、かつ人生を楽しむことにも積極的だった父は、日夜バタバタせわしなく生きている私を どう思っているのだろうか。老後はバリに住みたいと言っていた父の机からは、舟田京子先生の 「やさしい初歩のインドネシア語」が出てきた。生きていたら、もうかなり上達していただろう。「JCC実践インドネシア語」も、 たくさんの人たちに活用してもらえる充実したテキストにしていきたい。改訂版完成まであともう少し。今日は一日中 最終チェックで大わらわだった。