平成18年
校長のよもやま日誌
1月



校長の甲斐切です。 どうぞよろしく。

平成15年<3月><4月> <5月><6月> <7月><8月><9月> <10月><11月>
平成16年<1月> <2月><3月><4月> <5月><6月> <7月><8月> <9月><10月> <11月><12月>
平成17年<1月><2月> <3月><4月> <5月><6月> <7月><8月> <9月><10月> <11月><12月>
平成18年<1月>

1月30日(月)
みっともない、はずかしい、腹立たしい。東横インの代表取締のインタビューは、先週の政治家以下だった。 「法令に違反しました。すみません」という言葉を、しゃらっと悪びれずに明言。それは、潔いというより、 開き直りにしか見えなかった。おまけに言うにことかいて、 「身障者のお客さんて少ないんですよ、だからそのスペースは倉庫になっちゃうんです」と、不遜な笑いさえ浮かべて いた。人間の傲慢さは、きっと社会の鉄拳を食らうだろう。しかも今回欺かれ、傷つけられたのは、身障者と いう、社会の協力を多く必要とする人たちである。あのひどいインタビューを見て激怒した人は少なくないはずだ。 これらが我日本の国家や企業、社会を代表する人間なのかと思うと、ただひたすら情けない。

1月28日(土)
18日の日誌に書き綴った高校時代の友人は、私を除いて全員子供がいる。すでに結婚した娘から、 小学校4年生まで、それぞれにみんな、たいへんな思い、楽しい思いをしながら育ててきているのだろう。 その子育ての話に出てきた友人Sのお嬢さん、ユリちゃん。とにかく愉快な子らしく、名言珍言の山。 その中で、もっとも笑ったのがある日のユリちゃんとおばあちゃんの会話。
おばあちゃん「ユリ子は、なかなか成績が上がらんのぉ〜」
ユリちゃん「おばあちゃん、あのね。ジャンプする前は、みんな屈むんよ」
おばあちゃん「ほーか、ほいならユリ子は今からジャンプするんじゃの」
ユリちゃん「おばあちゃん、あのね。ジャンプしたときにね、こける人もおるんよ」
会ってみたいなぁ、ユリちゃん。

1月26日(木)
日本人はスピーチが苦手だとつくづく思う。欧米では小学生の頃から自分の意見を「言う」だけでなく、大衆に向けて 「スピーチする」練習をすると聞いたことがあるが、なにか話題になっていることに関して、まずそれに関して深く考え、 まとめ、人々にわかりやすく訴える技術は、劣っていると思う。だが、少なくとも政治家は上手であるべきだ。
逮捕されたライブドアの堀江元社長が、昨年衆議院選挙に立候補したとき、応援演説したある政治家は、 「党に頼まれたから(応援演説を)したのであって…」と不本意げにインタビューに答えていた。 確かに党に頼まれたら、応援演説にはかけつけねばならぬだろう。だがそれは、舞台裏の打ち合わせ事項であって、 テレビカメラの前で言うべき事柄だろうか。そんなことを言ってしまえば、「党に頼まれたら、どんな怪しい候補者の ためにでも応援演説するのか」と思われることに気付かないのか。 また、応援演説で、「堀江を頼みます! 彼は私の息子です!!!」と絶叫したある政治家先生は、「私は党の 若い人には誰にも父親の気持ちで…」と歯切れ悪く答えていた。そうか、息子ができがいいから推薦した わけではないのか、目の前にいる候補者は誰でも自動的に「息子」になり、自動的に絶賛するべき対象になるのか、 なんと稚拙な抗弁なのだ。
もちろん、ここで堀江元社長をほめたりかばったりしたら、世の批判を受けるだろう。 だが、上記ふたつのインタビューには、政治家たる意志も信念も感じられない。ただのいいわけだ。 はっきり意志を表わしたインタビューやスピーチは、強いエネルギーを持っているだけに、批判を受けやすい。 反対意見でたたかれることも多かろう。だが、今回のようにがっかりはしない。そういえば、その党の頭をやっている 首相が批判を浴びつつ長続きしているのは、もしかしたらその打たれ強さが魅力なのかもしれない。

1月24日(火)
PTA主催の講演会のために日本人学校へ行った。いつ訪れてもすばらしい環境の学校である。2〜3年という期間、 海外の空気を経験する子どもたちは、インドネシアにどんな印象を持って帰国していくのだろう。 日本の学校とは比べ物にならないくらい大きなオープンエアーの校舎には、おおらかな子どもたちの喚声があふれていた。

1月23日(月)
今朝のニュースで、週末に行われた大学センター試験で、「受験時間が短く終った会場」が問題になって再試験を検討中…と 報道していた。そりゃあ、けしからん。騒音どころの話ではないな…と聞いていたら、その短く終った時間は15秒という。 ううううむ、15秒かぁ。そりゃ、答えがひらめくときは1秒、単語ひとつ書くに2秒ぐらいしかかからないだろうから、 15秒といえば、かなりのポイントにつながる…と言えないこともない。わかる、わかるが、ううううむ。

1月21日(土)
昨年末に遊びに来た友人がのど飴を置いていってくれたことを思い出し、昨日からなめ続けている。 おかげで喉の調子がいい。カンロ株式会社さん、ありがとう。日本では今日、大学のセンター試験。全国的に雪で たいへんそうである。今年からセンター試験に英語のヒヤリングが採用されたということで、各受験会場で 騒音対策に取り組んでいるとテレビで言っていた。琉球大学では米軍基地に試験時間中の飛行練習を自粛して ほしいと申し出たというし、鳥の鳴き声公害の東工大では、60万円をかけて窓にパネルを取り付けたという。 ふと、ジャカルタの日本語能力試験会場をことを思い出した。エアコンのない会場で、開けっぱなしの窓から聞こえる 隣の教室のヒヤリングテープ音。それが、自分の教室のヒヤリングテープに追うこと3秒ぐらいで聞こえてくる。 みんな悪条件のもと、頑張っているんだなぁ。試験の結果が間もなく通知される。そして、明日はインドネシア語 技能検定試験。スタッフは今朝から会場作りに忙しい。

1月20日(金)
昨日NHKの特集番組の中で、30代後半ぐらいのお母さんが14歳の息子のことを「彼」と表現していた。 家でほとんど口を利かない息子を、「中学生になった頃から、彼はうちにいてもほとんど話さなくなりました」と、 淋しそうにインタビューに答えていた。最近、親が子のことを、子が親のことを第三者に話すとき、「息子・娘」、「父・母」 ではなく、「彼」「彼女」と表現しているのをよく耳にするが、とても寒寒して聞こえるのは私だけだろうか。 親子間の溝も、それがまったく関係していないとは言い切れないのではなかろうか。たぶん、その息子も母親の ことを「彼女」と呼んでいることであろう。 たしかに英語ではあたりまえの表現だ。親子といえどもひとりの人間同士としてつきあうという、とてもクールで フラットで今風でかっこいい表現。でも、切っても切れない親子の結びつきがぷっつり切れてしまっているような、 いや、そんなつながりなどもともと存在しないような感じさえする。私は母のことも姉のことも「彼女」とは表現できない。 また、母たちに私のことを「彼女」とはあまり言ってほしくない。なんだか遠くへ放り投げられたような距離を感じるのだ。 そういえば、うちの学校のスタッフがときおり、 受講生の方々の話をしているときに、この表現をしていることがあり、どきりとする。 「インドネシア大学のユリア先生が、甲斐切先生に話があるそうです。彼女はロビーで待っています」、「プライベート レッスンの山根さんは、来週キャンセルです。彼は一週間出張だそうです」てな具合。それが、インドネシア人の 先生だけではない。日本人の日本語の先生もである。ううううううむ。間違いではない。だが、愛が、信頼が、敬意が 感じられないではないかっ!! …と思うのは、やっぱり私だけ〜〜〜?

1月19日(木)
締め切りに追われ続ける今週から来週だが、昨日今日と2仕事が仕上がり、なんとなく一息ついた。来週は日本人 学校で講演会。だが、日本から戻る飛行機の中でおかしくした喉が、先週末のJCC新年会の司会で喋りすぎたために 悪化。なんとかこの週末で治したいと思うが、今週の日曜日はインドネシア語技能検定試験。年の初めから忙しい のはありがたいことであるが、ゴホ、この声ではゴホゴホ、講演会はゴホホホッ、ちょっとしんぱーい!!

1月18日(水)
今回の帰国中に、懐かしい友人たちと会った。高校時代の同級生で、最後にあったのが12、3年前である。 みんな顔を合わせたとたん、「高校時代と変わらないよね〜!!」の大合唱。それを姉に話したら、「あのね、 まわりの人たちにはしっかり中年のオバサンに見えているのよ」。そりゃそうだろうな。はずかし〜。 感情が激しているとき、第三者の目の存在は、意外に忘れがちである。どんなにうれしいときも、たいへんなときも、 客観的にものごとを見るように努めよう。そうすれば、冷静な判断ができ、勇み足や過剰な心配をしないようになる かもしれない。

1月16日(月)
明けましておめでとうございます。1月も半ばになって新年の御挨拶をしている私は、すでに今年の波に乗り遅れて いるような気もしないでもないが、本日スタートした新クラスのみなさんが、それぞれに新年の挨拶をされているのを 見てホッとひと安心。新たな年への決意表明に締めきりはないのだ。今年の目標は、昨年末の日誌に書いたように、 「楽しい人になる」! 私が楽しければスタッフも楽しくなり、スタッフが楽しければ受講生の方も楽しくなり、 受講生の方が楽しければ、JCCはもっともっと楽しい学校になるはずである。楽しい学校にするために、楽しい毎日にする ために、楽しい人生にするために、「楽しい人になる」、これが今年の私の目標である。なお、みごと玉砕の憂き目に あった昨年の努力目標、「怒らない! 口角を上げて美人になろう」は、引き続きの継続課題とする。なにはともあれ、 今年もよろしくお願い致します。