
平成15年
校長のJCC日誌
6月

校長の甲斐切です。
どうぞよろしく。
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6月30日(月)
なななんということ! 暦はいつしか6月に!! …と書いたのはほんの1ヶ月前。なのに明日はもう7月。
学校行事や来客が目白押しの7月は、既にカレンダーは真っ赤々。こんな大切なときになって、使っている卓上
カレンダーがまだ半年しかたってないというのに、突っ立ての部分がボロボロになってきた。
毎日使うものだけにいらつく。これだからインドネシア製は…と思いつつ、同時に日本製のさまざまな物たちの
クオリティの良さに思いを馳せる2003年上半期の終わりである。
6月28日(土)
インドネシアの人たちは誕生日に関してまめだ。友人の誕生日にプレゼントを贈るなんて、私はせいぜい10代ぐらい
までしかしていなかったと思うが、ここの人たちは、プレゼントはもちろん、電話やメールで必ず「おめでとう」を
言わなきゃ、友だちじゃない…て感じなのである。それも早ければ早いほうが親密度の証になるのだそうだ。
というわけで、インドネシアではスタッフや友人の誕生日はけっこう負担である。負担なのはプレゼントにかかる費用
ではなく、誕生日を覚えていなければならないことである。いつも誕生日の前にはきっちり思い出して、「忘れない
ようにしなきゃ」と念じるのだが、当日になるとなぜかスコーンと記憶がなくなっている。その対策として2年前から、
パソコンのすぐ脇に一年間の誕生日一覧を書いて貼っているのに、今月も、スタッフ一人、友人の子どもさん一人、
極めつけは実の娘のようにかわいがっているバリの子どもの誕生日まで忘れてしまっていた。
そんなことだったら、思い出したときに、お祝いを言っときゃいいじゃないという声が聞こえてきそうだが、
インドネシアでは誕生日が来ないのにお祝いを言うことは御法度なのだそうで…。はー。
さいわい来月は誰もいない。やれやれ、一息つける。
6月27日(金)
久しぶりにインドネシア語の授業を受けた。昨日も書いたように、最近、スタッフとのコミュニケーションで
勘違いや意味の取り違えなどが多く、もう少しきちんとしたインドネシア語を話せるように、そして仕事の現場で
丁寧な言葉で話せるようにという願いを込めてである。で、授業を受けて…いや〜、なんと乱暴な言葉を
使っていたことか。こんなインドネシア語を話す私を相手に、インドネシア語の先生たちはさぞかしイライラした
ことだろうなぁ。大いに反省、と、大いに勉強。
6月26日(木)
言葉の壁がストレスも生むし、笑いも誘う。おとといの日誌にも書いた見学時の出来事だ。その5才の子ども
さんはやんちゃな盛りなので、知らない人が教室に入ったらきっと気が散って騒ぐか、黙り込んでしまうか、
いずれにしても授業にならなくなるだろうと思って、A教室で授業をしてもらうように事務部に連絡した。A教室は
入ってすぐのところにアコーディオンカーテンがあって、2教室に分けて使えるようになっている。その教室で
アコーディオンカーテンを閉じて授業を始め、しばらく経ってから、私がアコーディオンカーテンで隔てたこちらがわの
部屋に入って、授業の様子を声だけでも聞ければと思ったのである。はたして時間になってそっとドアを開けると、
アコーディオンカーテンは閉まっておらず、ま正面にその子どもさんと先生が。先生はにこにこしながら「あ、先生、
こんにちは! どうぞー!!」。子どもさんは「なんでぇー?」などと言って、もう気持ちがこっちに向いて授業から
離れてきている。「あー、も〜、あれだけ言ったのに閉めてないぃぃぃー」ときりきりしながら、しかたなく椅子に座った
私の目に入ったのはしっかり閉められた窓のカーテンだった。子どもさんから見えないようにとか、声だけ聞ける
ようにとか、部屋を分けてとか、用心に用心を重ねて説明したつもりなのに…。でも、まったく何もしていなかったら
怒ってストレスがたまるところだが、閉めるには閉めてる、モノは違うが…ということで、なんとなく笑えてしまった。
ちなみに、このアコーディオンカーテン、インドネシアではまだまだ一般に浸透しておらず、みんながその名称を
知らないことから今回の事件は起きたのだった。ちなみにこちらでの正式名称は「Folden Door」だそうです。
6月24日(火)
今週は授業見学の週。各先生方の授業に入り、内容を確認させてもらう。
今日見せてもらったT先生の授業は、日本人とインドネシア人を親に持つ5才の子どもさんのクラス。すぐに
気の散ってしまう幼稚園児を相手に、辛抱強く教えるT先生の姿勢に感動した。日本語学校は義務教育と
違って、年齢制限がない。以前私が担当したクラスは、中学1年の男の子、19歳の女子大生、30歳の主婦、
40代の会社員、そして60代の男性がひとつのクラスで勉強していた。話題も習慣も感性も異なる様々な世代の
人たちをまとめていくのはけっこう大変だ。教師に求められるのは「我慢強さ」であると同時に「柔軟性」であろう。
6月21日(土)
JCCを設立する前に勤めていた日本語学校の同僚の先生に、ほぼ3年ぶりに会う。初めて会った10年前から
、全然変わらない印象。そういえば、その先生は敬虔なイスラム教徒で、ジルバップ(イスラム教の女性が頭に
つけるスカーフ状のもの)をかぶっている。以前私は、ジルバップをかぶると個性が見えにくくなると思ったが、
こうしてみると、ジルバップはたしかに個性を隠すが、同時に年の衰えも隠してくれるのかもしれない。
6月20日(金)
ひさびさに表を歩く。あ、これは日本のみなさんには妙な文章に映るでしょうね。実は、ここジャカルタでは車が
ある人たち、特に外国人たちは、あまり外を歩くことをしない。で、私もめったに徒歩で買い物など
しないのだが、体を甘やかしては病気に立ち向かう強さは得られないとばかりに、学校の近くにあるサンタ市場の
裏にあるパンやさんまで、ほぼ5分の距離を歩いた。
パンと牛乳を買って帰路についたその道で、ふっと地面を見たら30センチほどのぺちゃんこになったひも状の
ものが。ぎょえええ〜! へびだぁー!! と思ったら車に轢かれたホースだった。んもー、人騒がせな〜と、
ホッとしたその足の1メートル先にねずみの轢死体が。わわわー!! と飛び跳ねたら今度は目の前に犬の糞。
下なんか見て歩いてたら神経がもたないこの国だが、舗装などほとんどされてない道はでこぼこが激しく、
足元に注意してなきゃ歩けない。やっぱり、外なんか歩くなってこと? せっかく健康的な生活に向かって第一歩を
踏み出したのになぁ…と、自分の運動不足に長々と言い訳なんかしてみました。
6月19日(木)
15日の日曜日、友人の出版記念パーティーがあった。パーティーを勧めた関係上、司会進行を仰せつかって
いたのだが、入院騒ぎの直後ということで、御辞退。ただ、プログラムのひとつ、
大喜利の司会だけ務めさせて
いただく。「新国家『大和』、日本より分離独立を宣言する」
を出版された学習塾経営の東屋さん、タケノコ先生の愛称でおなじみのお医者様、山田先生。
ジャカルタのマルチタレント、坂井師匠。インドネシアで真珠の養殖業を行なっている名取家元。この4人を相手に
30分。インドネシアの首都ジャカルタの日本人の中には、芸達者な芸人たちがたくさんいるんだなぁ…と
しみじみ感じた。(芸人じゃないんですけどね〜、本当は。みなさんまっとうな仕事人です)
6月18日(水)
退院して5日目。やっと仕事への集中力が戻ってきた。ただ、体調の悪さゆえか、薬の影響か、舌の感覚が
かなり変。お水が苦い、大好きなおうどんやそうめんが塩っ辛い。一日の活力のもと、コーヒーに至っては、匂いを
想像しただけでむかむかしてくる。姉がメールで書いてきた一言、「病気が一番貧乏」。まったくそう。
お金があっても美味しいものを美味しく食べられないんじゃ、意味がない。本気で健康について考えよう。
6月16日(月)
インドネシアに住んで11年。ついに入院を経験す。5泊6日の病院暮らしはちょっとした休養になった。
それにしても、久々に向かうパソコンの画面は病みあがりの体にはきつい。こんなことでもなければ、
自分が、いつも体のどこを酷使しているのかわからないままなのかもしれない。
6月4日(水)
なななんということ! 暦はいつしか6月に!! 日本はそろそろ梅雨が始まるのだろうか。インドネシアは
やっと乾季らしくなってきて、今日などはJCC1からJCC2までの100メートルの徒歩が実にきつかった。
これからは日に日に暑くなっていく。