
平成15年
校長のJCC日誌
7月

校長の甲斐切です。
どうぞよろしく。
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7月30日(水)
明日の夜の飛行機で日本に向かい、一週間東京で仕事を、そのあとはお盆を田舎の広島で過ごす。この間、
パソコンから離れるため、この日誌もしばらくお休み。8月の中旬に再開です。
7月25日(金)
インドネシア語技能検定試験の片づけがやっと終わった。これでやっと夏の帰国のことが考えられる。
来週金曜日の夜の便で東京へ向かう予定だが、実は最近、旅の準備が面倒でしかたない。やれ、服はこれとこれ、
お土産は誰と誰、なにか忘れてはしまいかと神経を使う。飛行機に乗るのもひたすら面倒。昔は旅の準備も
飛行機もすべてが楽しみの対象だったのに。仕事のことを考えずに旅していたバックパッカー時代をふと懐かしく
思い出した。
7月23日(水)
今日はミーティングに明け暮れた一日だった。昼前から、インドネシア人教師特別ミーティング、JCC1の
月例ミーティング、インドネシア語技能検定試験反省会、そしてカンパニーレッスン対策ミーティング。終わったのは
夕方で、気がついたらおなかがペコペコだった。遅い昼食か早い夕食かわからないまま出前のラーメンを食べて
いると、事務局主任が来てまた延々ミーティング。そして今、夜の8時。そういえばよく受講生の方に、「夜8時まで
仕事? それは大変ですね」と言われる。だが、日本インドネシア語検定協会の近藤先生は毎日、夜12時まで
仕事をして東京発千葉行きの終電に飛び乗るのだそうだ。むむむ…、そうしてみると私なんかまだまだ働きようが
少ないではないか。喝!
7月22日(火)
昨晩お帰りになった、日本インドネシア語検定協会の近藤由美会長は、「バタオネのインドネシア語講座」など
多数のインドネシア語関係の出版に携わっていらっしゃるインドネシア語教育のエキスパート。その近藤先生が、
JCCのインドネシア語の一般クラスを見学された。そのあと、JCCのインドネシア語担当の教師の勉強会に参加して
くださった。日頃疑問に思っている点などをJCCの教師たちが近藤先生に投げかける度に、経験を活かされた
意見を即座に出してくださり、JCCの先生たちにとってまたとない素晴らしい機会となった。
7月21日(月)
ジャカルタでの初のインドネシア語技能検定試験が20日(日)にJCCで行なわれた。
(詳しくはJCCニュース7月をご覧ください)
昨年の末、日本インドネシア語検定協会の近藤由美会長からお話をいただいてから約半年。広報から願書受付、
次回の募集要項作成などであっという間に試験当日を迎えた。緊張の連続だったが、A級からE級まで151人の
受験者の方を迎えて無事終了。日本からかけつけてくださった近藤会長も、安心して帰国の途につかれた。
さぁ、今日からは次回2004年1月の検定に向かって再スタート!!
7月18日(金)
ここ3、4日お腹の具合が良くない。丈夫な体で、一年を通してほとんど病気らしいものはしない私なのにここの
ところ、体調を崩しがちである。いろいろ仕事が重なって精神的なものからきているとしたら、ちょっと情けない。
今晩は、ジャカルタの劇団四季(…と私が勝手に言っているだけです)、Teatre Komaのミュージカル公演に行くのに、
途中で調子が悪くなったらいやだな〜。薬を飲んで万全の体調で臨もう!
7月17日(木)
去年、一人の日本人女性がバリからいらした。長尾弥生さん。海外ライフを紹介する本を執筆中とのことで、
経験談をお話させていただいた。バリ島の爆弾テロや戦争などがあって、出版が危ぶまれた時期もあったという
が、今日、出来上がった本を送っていただいた。6月に出版されたというその本のタイトルは、「年金だけでできる
楽園ロングステイ−極楽アジアの暮らし方」(山と渓谷社)。今遊びに来ている友人が、「あ〜、この本見たよー。
両親に買って勧めるつもりだったんだ」と言っていた。やはり時代は、「老後は海外」…なのだろうか。そういえば今日は
姉の誕生日。バリ島が大好きな姉といっしょに、老後はウブドゥ暮らしというのが私の夢である。
7月15日(火)
久々に一週間日誌を怠ってしまった。12日の七夕パーティーに引き続き、今週末のインドネシア語技能検定
試験の準備のためになんとなくぴりぴりしている私。もっとゆとりを持って対処したいが、やはり初のジャカルタ会場
実施という責任の大きさに、不備・手落ちがあってはならぬと自然に力が入ってしまう。明日は検定試験スタッフの全体
ミーティング。よおおお〜〜〜し!!(やはりかなり力が入っている…)
7月9日(水)
日本から友人が来た。この日誌の一番初めに書いた、JCCのホームページを2年間作ってくれていた小説家の
伊吹巡さん。彼女は、パソコン音痴の私にとっては神様みたいな人で、初日から早速、現時点におけるJCCのパソコン
の疑問点、問題点を次々と解決してくれた。私のもこういう日がいつか来るのだろうか。
「機械オンチなの〜」なんて笑って許される年はもうとっくに過ぎた。日々努力!
でもやっぱり機械は、き・ら・い・だっーーー!!!
7月7日(月)
年に一度撮っているJCCの集合写真。
毎年、創立記念日に近い3月に行なっているのだが、今年は諸事情あって先週の金曜日の夜の撮影となった。
総勢25名プラス日本人の先生のお子さんはお客様。毎年増えていくスタッフの数とともに自覚も新たになる。
7月5日(土)
国際交流基金主催の第32回全インドネシア日本語弁論大会が
行なわれた。先だって行なわれた首都圏大会で第4位で入賞したJCC代表のティアさんは、全国から集まった
強豪を前に今大会での入賞はのがしたが、晴れやかな面持ちで、「またがんばります!」。そうだね、先週から
スタートした進級クラスで、日本語の力をもっともっとつけて、いつか再度挑戦しよう!!
7月4日(金)
JCC創立の1997年から丸6年間、教務をお手伝いいただいた三浦先生が、ジャカルタを離れることになった。
お別れパーティーには椅子が足りなくなるほどのJCCにゆかりのある人達がかけつけてくれた。5月に赴任された
ばかりの
笹谷先生がバリダンスを披露したり、みんなで三浦先生のだめに特別な歌詞をつけた「どんなときも」を歌ったり、
また、手工芸の好きな三浦先生のために、スタッフ全員が初チャレンジで作ったバティックでの寄せ書きを記念に
プレゼントした。
三浦先生とは、年齢も近かったせいか、プライベートでも親しくつきあわせていただいた。これからは、昔の思い出話を
したり、愚痴を聞いてもらったりする相手がいなくなると思うと、とても淋しい。なにせ、JCCの中では、私と校長補佐の
デシ先生に続く古株だったので、どんな昔のスタッフも、辞めてしまったメンバーも知っていた。
とにかく笑顔を絶やさない先生で、スタッフからのお別れの言葉は、みんながみんな、「三浦先生は、まわりを幸せに
してくれる人でした」。誰からも愛される人だった三浦先生から、JCCのスタッフは、助けられ、元気づけられ、
学ばせてもらった。誰よりもこの私がそう。三浦先生に負けない、笑顔の人になりたい。
7月3日(木)
今日、昼ごはんを食べに行った日本食レストラン、とても洒落ていて味もよく気にいった。しかし、オフィス街にある
せいか、広い店内は見渡す限り日本人のビジネスマン。まるで東京にでもいるような錯覚に陥った。
それにしても、日本人にとってジャカルタはこの上なく便利だ。日本人会が発行しているガイドブックに紹介されている
だけでも67のレストランがひしめきあっている。ジャカルタに住んでいる11年間に行ったことのある店を数えて
みると、32箇所だった。う〜ん、日本人にしては少ないほうなんだろうが、行動範囲の狭い私にしてはけっこう行ってる
じゃん…と、しばし感心。ただ、たまたま行ったときに変なものを出されたり、不親切な接客をされたりして、一回きりで
行かなくなった店も多い。語学学校も、一回でもいいかげんな授業をしたり、不適切な応対をしたりすれば、
受講生の方はその学校を見捨てるだろう。2003年下半期はじめ、昨日に引き続き、なにやらいろいろ
考えてこんでいる私である。
7月2日(水)
インドネシアの著名な舞踊家である Didik Nini Thowok と知り合う機会があり、先日の日曜と昨日の火曜日、
彼のパフォーマンスを見せてもらった。インドネシア舞踊の第一人者と聞かされていのだが、今回見たのはまず、
お笑いで、次は芝居であった。聞けば彼は役者としても幅広で、なにより一般庶民にはテレビを通して人気コメディアンとして
知られているそうだ。でも、いずれもからだの動きがその芸のメインで、アドリブの見事さは言葉で表現できないほど。
基礎ができていればどんなジャンルにわたってもクオリティの高いものが創作できるということであろう。語学教師も
まずは基礎。基礎がしっかりしていなければ、どんな工夫もアイデアもアドリブも活きない。