Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           
 
2003年3月正式公開より
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日本語教師七転八倒物語

第100回記念・特別編
(前編)

2006年 10月



著者:甲斐切清子

 

 

バチが当たってしまった。「最近、みなさんに最も喜んでいただける不幸ネタがない、プチネタはパンチとボリュームに欠けるし…」などと愚痴っていたら、大きな大きな天罰が下ってしまった。記念すべき第100回にぴたり焦点を合わせるように、2回分のボリュームにも匹敵する大パニックを私は経験してしまった。でも、きりのいい100回記念のネタを続き物にしてしまうのはちょっと…と思っていたら、事情を知ったブリタジャカルタの編集の方が、「じゃあ、せっかくですから100回記念増ページで盛大にいきましょう、盛大に」と言ってくださった。なんといううれしいお言葉…というわけで、編集部の方のお言葉に甘え、「日本語教師七転八倒物語」第100回記念は、「ジャカルタ−成田の帰国便、アジアの空を3日間たらいまわし編」、かなり長いタイトルですが、この際、構やしません。前代未聞の4ページでお届けします!!

 

【第1日目】8月3日(木)

8月3日の空は晴れ渡っていた。

その日の私は、いつもの帰国に比べると、気持ちはややハイであった。なぜなら、久しぶりに香港に行けるからである。私の帰国便は、いつもガルーダかJALのいずれか安いほうを利用するのが定番だったが、今回はどちらもかなり高めの料金で、おなじみになった旅行代理店の人に、「もっと安いのないのぉ〜?」とねばったら、「まったく、あいかわらずだね。そんじゃまあ…」と、キャセイパシフィックを出してくれたのである。「香港経由ですから、ちょっと時間かかりますけど」と、旅行代理店の人は年寄りを気遣うように言ったが、安けりゃそんなの全然問題ない。それに15年ぶりの香港はうれしい。たとえ観光なしのトランジットだけでも、空港内には飲茶を扱うレストランに入ることはできるだろう。チャイナドレスも売ってるだろう。中国茶やお香の香りも漂ってきて、きっと私をアジアの摩訶不思議な世界に誘ってくれるはずだ。しかもその便は、昼のフライトだという。夜便は疲れるとよく聞くが、確かに最近私もそう感じるようになっていた。それだけに、「香港へ行ける昼便」という、願ってもないフライトをゲットしたわけだから、私のウキウキランランはまるで、初めてのボーナスでHIS香港2泊3日49800円グルメ&ショッピングツアーに参加するOL1年生のようであった。

キャセイの搭乗待合室はガルーダ便やJAL便のそれと違って、かすかに西洋の空気が漂っていた。日本へ行くインドネシア人と日本へ帰る日本人であふれかえるガルーダおよびJALは、アジアの世界どっぷりだが、香港は世界への経由地として多国籍多民族の方々が利用するわけだから、ジャカルタへ商用に来たインド人や、バリへ遊びに来たフランス人や、スマトラに取材に来たアメリカ人などが、いっぱい乗るのであろう。だから彼らの持ち物の匂いや体臭やそんなものがミックスされて、この搭乗待合室の匂いを構成しているのか。勝手な想像をして、自ら旅情をかきたてる私であった。

すがすがしい朝の空気にうっとりしていたら、搭乗開始の案内。時間通りである。さすがにキャセイ、いい仕事をしてくれる。身に起こることのすべてがポジティブに進んでいく。まるで私のこれからの旅を祝福するように。これはもしかしたら素敵なロマンスが待っているかも。あるいは隣に大富豪が座ってきて、ビジネスチャンスに恵まれるかも(注:大富豪はエコノミーには座りません)。そんな妄想を描きながら席に着くと、隣はとっても仲のいい美男美女のインドネシア人夫婦であった。なんでぇ!しかし、そんな落胆も、キャセイの軽やかな走り出し(?)にあっという間に過去のものとなり、美男美女のインドネシア人夫婦と話をする余裕まで出てきた。

 うれしいことはほかにもあった。キャセイは、一人1台のパーソナルモニターである。自分の気に入ったビデオを選んで目の前のモニターで観賞できるのである。うれしいじゃないのさ、昼便で、香港に寄れて、そいでもって好きな映画を好きなだけ観られるなんて。あっぱれ、キャセイ。でかしたぞ、キャセイ。もうキャセイ以外乗らないからね! と、それでなくても充分にハイな私はますますテンションを上げていた。

さて、ビデオプログラムの中から私は、迷うことなく「ALWAYS/三丁目の夕日」を選んだ。昨年、友人が、「いいよ〜、俺らの世代の人間はみんな泣くよ〜、後半は泣きっぱなしだよ〜」と感想を熱く語っていて、よほどいい映画なのだろうと、いつか見たいと思っていた。それが、キャセイの機内エンターテイメントの中にあったのだ。これも730ドルの中に入っていたのね。730ドルから映画入場券1800円=15ドルを引けば、このフライトって715ドルだったわけ〜? ラッキー!! 

予想を裏切ることなく、後半泣きに泣いた私は、「すごくいい映画だった〜、キャセイってすごい」と、ますますキャセイの信奉者になっていくのであった。

ところが、「ALWAYS/三丁目の夕日」の終わったあたりで少し雲行きが怪しくなってきた。怪しくなってきたのは上空の雲ではなく、私のテンションが、という意味である。「ALWAYS/三丁目の夕日」の次に観る映画が決まらないのである。子供向けのアニメだったり、百花繚乱(狂乱)インド映画だったり、おもしろそうな新作だが英語が難しそうだったり…。結局ビデオはひと休みし、持ってきた文庫本を読むことにした。学校の図書コーナーからひょいと取り出した「四日間の奇蹟」というタイトルのその本は、売れに売れたというからきっとおもしろいに違いない。退屈な機内では、深く考えずに単純に楽しめる本が最適である。自分の選択が間違っていないことに酔いながら、私はその小説を読み始めた。

そして、「四日間の奇蹟」を読み始めて1時間ぐらい経ったころであろうか。その前に「ALWAYS/三丁目の夕日」を2時間近く観ているので、都合3時間、いろいろ含めてジャカルタ離陸後4時間ほどたったころ、時計はまもな14時になろうとしていた。機内に「みなさま、当機はまもなく香港国際空港に着陸いたします」というアナウンスが流れてきた。

ふむふむ、きっちり時間通りね、と感心したその直後であった。機が大きく揺れ始めたのである。ゆらゆらがたがた、ひたすら揺れる。申し遅れたが、私は飛行機は好きではない。はっきり言えばきらいだ。だから揺れると命乞いをする。誰にかと言うと、亡くなった父にである。「お父さん、まだよ、私はまだ行けんけん(注:広島弁で「行けないから」の意)!」

このときも太ももの上に両手を置き、「お父さん、まだ!」と心で叫んでいた。その揺れは単に雲をくぐるときの揺れであったのだが、そのあとにもっとすごいのが待っているのを私が知ったのは、その10分後であった。雲をくぐって、「あ、やっと下界だぁ〜」と安心したのもつかの間、窓の外の灰色の世界を確認したと同時に揺れはさっきの比ではなくなり、がくんがくんと揺れ始めた。「なに、なにこれ、なに〜〜〜!!!」と、言葉が心の中で発せられるのではなく、口をついて出てくる。それはすでに、精神状態が尋常ではない証拠である。がくがくがくがく!!!!!! と、飛行機は降りていくというより落ちていき、窓の下に海が見えるところまでやってきた。すでに着陸態勢で車輪も出ていることだろう。

だが、そのとき視界に入ってきた海を見て、一瞬目を疑った。一面にごみがいっぱい流れているのだ。え、なんで? とよく見るとそれは、ごみではなく、嵐で白波が立ってごみが流されているように見えているのである。なんと私の乗っている飛行機は、香港を襲った最大級の台風の真っ只中にいたのだった。

がくがくがくっという音とともに、飛行機は下降を試みる。だがいかにもバランスが取れないのであろうことは素人にもわかる。だが、このとき私の不安はまだ甘いものだった。もう香港に着いたも同然ではないか。狭くて不安定な空間に数時間も閉じ込められる飛行機にはなるべく乗りたくない人間にとっては、ここまで来たからにはさっさと降ろしてほしい。多少難しくても機長にはがんばってもらって、なんとか着陸してほしい。着陸できないからジャカルタへ帰るよ〜、なんてアナウンスなど流してくれるなよ! と、強気ですらあった。

しかし、太ももに置いた手にぐっと力が入ったころ、機は突然、頭を上げて上に向かっていき、ゆらゆらがたがたと雲を通って、上空へと入った。そこでまた、何を考えているのか、雲の上をへろへろと回り始めた。

 

飛行機はしばらく旋回したあと、意を決したように再びがたがたと雲を通っていった。私は雲の中の揺れだけで充分恐怖を感じる。それがすでに3回目である。そのうえ、雲を通り抜けたその下にはもっとすごい揺れが待っていることを知っているのだ。「ま、ま、またなの、嵐が収まったって連絡でも入ったの。着陸できるという公算あっての判断および行動なの、え、キャセイ! なんとか言ってみ!」と不安をぶちまけても、キャセイはそれどころではないらしく、アナウンスのひとつもない。見ればスチュワーデスも専用シートに背中を伸ばして座り、口を一文字に結んで垂直方向の乗客を見据えたままだ。

耐え切れない恐怖を振り切ろうと、私は読みかけの「四日間の奇蹟」を開いた。文字に目を向けたら、少し気持ちが落ち着いてくるだろうと思ってのことだった。だが、読み進むうちにまずいことになってきた。そして結局、4、5ページ進んだところで私はその本をパタンと閉じた。小説の中でヘリコプターが墜落したのだ。おい! オビに書いとけよ、小説の中ごろでヘリコプターが1機落ちますって!! 

雲を通り下界に入る。先にも増しての揺れが機を襲う。そのころには「とにかく香港に降りてもらうからね」というごり押し的要望はすっかり失せ、「ジャカルタへ帰ろうっ! いや、この際シベリアでも南極でもいい、どこでもいいから揺れない国へ!!」と懇願している私であったが、そこは航空会社、燃料の問題や補償問題や、そんなことを考えるとおいそれとルートを変えることはできないのだろう。がくがくの世界をひたすら飛ぼうとする。もうやめてくれ〜と思ったあたりで機がまた上に向かった。は〜、諦めてくれたか〜〜〜と胸をなでおろしたら、また雲の上でへなへなもそもそ回っている。どっかほかのところに向かうんじゃないの〜という私の希望的予測は見事に打ち破られ、機は三度(みたび)下界を目指した。

不思議に機内は静かだった。誰も泣きも叫びもしない。いや、もしかしたら泣きべそをかいている人や祈りを捧げている人がいたかもしれないが、飛行機の揺れを伴った轟音で聞こえなかったのだ。

3度目のトライは、それまでで最大の恐怖だった。機ががたがたと小刻みに揺れるというより、巨人に頭と尻尾をつかまれ揺さぶられる感じであった。もう終わりだ。この機が落ちない理由は何もない。私の脳裏には明日のNHKニュースが浮かんだ。いつも他人事のように聞く飛行機事故のニュース。それが今、自分のこととして実感を持って迫ってくる。

「それでは、この機の乗客名簿に乗っている日本人のかたがたのお名前です」というアナウンサーの声とともに、「カイキリスガコ(48)」という文字がテレビに映し出される。こんな変わった名前はめったにあるわけないから、家族親戚一同、友人知人はそりゃびっくりするだろう。

自ら作り出した想像を必死で振り払い、「お父さん! だめだって、まだ行けんて!!」と、私が何度目かの懇願をしたあたりだった。飛行機がなにかきっぱりとした姿勢で上に向かった。そして今度は旋回せずにまっすぐある方向に向かって飛び始めた。待ちに待ったアナウンスによると、香港着陸を諦め、台北に向かうことになったという。台北なら成田行きもたくさんありそうだし、なにより日本にぐっと近くなるじゃんと、私がほくそ笑んだのは言うまでもない。

だが、飛び始めて10分ぐらい経ったころ、台北がほかの避難便でいっぱいになったので、マニラに向かうことになったというアナウンスが。さっきまでシベリアでも南極でもいいと言っていたのに、「ちっ、どうせなら成田に飛んでくれりゃいいのに」と舌打ちする私であったが、それが大変な思い違いであることを知らされたのは、その翌日のことである。

 

マニラに着いたのは16:00であった。夕方4時はもちろんまだ明るい。私は、ここから成田行きに乗り換えるものとばかり思っていた。もしくは、しばらくして香港に戻って、明日の早朝便にでも乗るのかな…、それらがこの機内の人たち全員の希望的観測だったに違いない。だが、なにもアナウンスがない。まさか、このまま飛行機の中で待てってことはないよね、せめて搭乗待合室に移動させてくれればいいのにと思うのだが、とにかく乗務員もわからないの一点張り。しかたないなぁ、と目を瞑ったとたん眠りに落ちてしまった。しばらくして目が覚めて驚いた。なんと窓の外は真っ暗になっている。

今となってはむなしいばかりのパーソナルモニターには、時間が表示されていた。すでに18:00。サンドイッチと紅茶が出される。18:00なんだから、夕食出しなさいよ! とは思うが、小心者の上に英語がまるきし喋れない私は、状況を受け入れるしかなかった。再びモニターに目をやると、出発地の現在時間も18:00とある。ふざけんじゃないわよー、これって香港時間じゃないのさ、私たち、香港に降りた覚えはないわよ! この飛行機の出発地はジャカルタなんだからね、ジャカルタは今17:00よぉぉぉー!!! という文句も、英語ができないばかりに言えない、非国際人の私なのであった。

こうなったら、隣の人たちと喋って時間をつぶすしかないと、美男美女夫婦と話すと、この人たちは総勢30人の3泊4日香港ツアーのお医者様たちで、日曜日にはジャカルタに帰るスケジュールだそうな。予定通りなら今頃豪華な中華レストランでディナーに舌鼓を打っているところなのにね、ははは…と笑うインドネシア人のおおらかさが今ではうらやましい。

18:45、やっとアナウンスが。よっし、機内でここまで待たせたのだから、このまま香港に飛ぶのだな、もしかして香港で成田行きのキャセイが待っていてくれるのだな! と腰を起こしたら、「今晩、皆様にはマニラでお過ごしいただきます」、うえぇ〜、ほんまかよーーー!!! 3泊4日のインドネシア人ドクターたちの落胆ぶりはいかにと思いきや、そこここから、「お〜、今日はマニラツアーか、すごいオプショナルだなぁ!!」と、うれしそうな声が上がってる。インドネシア人の場合、海外旅行はビザの手続きとか大変だから、確かにこれはラッキーかもしれない。不幸を共にする同胞が減ってちと残念な気分であった。

機内3時間待ちの後、やっと飛行機から出る。ぞろぞろと出て行く乗客は、やっと外に出て嬉しそうでもあり、今後の情勢に不安を隠せない様子でもある。流れ着いたのは荷物受け取りエリア。ここでもキャセイの説明は一切なし。というより、キャセイのスタッフの姿がちっとも見えない。キャセイめ、詰め寄られるのがいやだから影で隠れて様子を見てるのだな…、とさまざまなことを想像しつつ待つ。10分、30分、60分…、時は無常なほどに無意味に過ぎていく。しかもここは椅子などないのである。待たされることはジャカルタで慣れているとはいえ、ここはジャカルタではない、しかもガルーダじゃなくて、キャセイなんだよ! と、堪忍袋の緒はすっかりみじん切り状態の私は、つい数時間前までは全面の信頼を置いていたキャセイへ、怨み節しか浮かんでこなかった。

飛行機から出ておよそ2時間後の夜9時も近くなったころ、並んでいた一個隊がずずいと動き始めた。やっとホテル行きのバスが来たらしい。だが、これからどこへ行って明日どうするか、それより荷物はどうなるか、まったく説明がない。とにかくそのまままっすぐ前進してどのバスでもいいから乗れという。どうやら荷物は受け取れないらしい。ということはキャセイめ、今晩はパジャマなしで寝ろというのだな、下着も替えないでそのまま過ごせというのだな、それよりなにより、パスポートコントロールを通らなかったんだから、私たちは密入国者ということなのだな、と念仏のように唱えながらバスに乗る。

暗くなったマニラの町をバスで15分ほど走って着いたホテルはシャングリラ系の4ッ星。すこしうれしくなったが、ロビーに入ってすぐまたうれしくなくなった。長蛇の列である。ここにいたっても説明する人間は一人もいない。ひたすらレセプションの人が、居並ぶ難民のような人々をさばいていっている。いくら大型ホテルといっても、本来の滞在客もいるわけだから、部屋数に限りはあるだろう。へたをするとあぶれるかもとひやひやしたが、かろうじて部屋を確保。だが、一部屋二人。非常事態だから仕方ないと、空港からなにかと話し相手になっていたアメリカでインド人と結婚したというインドネシア人女性と一緒になることに。もちろん、袖触れ合うも他生の縁、一期一会とは思うが、さすがに今日知り合ったばかりの人を全面的に信じるわけにはいかない。キャセイめ、4ッ星ホテルで貴重品をおなかに巻いて寝ろというのだな! と口を尖らして呟きながら、部屋に入る。入ったところで、あ! と私はあることを思い出し、急いで電話に向かった。

  前代未聞の4ページでも結局書ききれなかった「日本語教師七転八倒物語」第100回記念、「ジャカルタ−成田の帰国便、アジアの空を3日間たらいまわし編」、泣く泣く次回に続きます。     ―つづく

          

 
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