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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
105回


2007年 7月



著者:甲斐切清子
 

 

【先月号のあらすじ】10年に一度しかないパーティー、見栄っぱりと言われようが、不相応と言われようが、たまには、JCCも立派なパーティーができるんじゃん! と思われたい…。そんな個人的願望で記念パーティーはホテルで行なうことに決定。10周年記念行事狂想曲の幕は切って落とされた。

 

正直に白状すると、JCC10周年記念パーティーはホテルで! というのは、ずいぶん前から私の気持ちの中にあった。

あれは6,7年前のことだろうか。私はジャパンクラブの婦人部から講演会を依頼された。その会場となったのが、ブロックMプラザの近くにあるホテルグランマハカムだった。映画に出てくるヨーロッパの館のような佇まいに、全体を包むソフトなトーンの色合い。モダンでありながら基本的な美しさを備えた装飾品がさりげなく置かれ、女性の心をいたくくすぐるそのホテルに、私は一目で魅了された。それ以来、お茶を飲みに行ったり、食事に利用したり、フィットネスクラブの会員になったりしながら、そのホテルとつきあっていくうちに、「このホテルのバンケットルームでJCC10周年パーティーを!」というのが、いつしか大きな目標になっていた。

そしてついに、ホテルグランマハカムの予約帳に2007年3月25日JCC様と記入されたのである。パーティーの6ヶ月前、2006年の9月のことであった。

 

さて、JCCの10周年記念行事だが、はたしてパーティーで、どかーっと食べてぐびーっと飲んでわーっと騒いで、ただそれだけでいいのか? 否!! JCCは、かりにも教育機関である! 文化施設である!! やはりそれにふさわしい、公のみなさんのためになるようなイベントを行なうべきではないか!!! そう考え、3月の1ヶ月間を通して、文化講演会を開催することにした。10周年に合わせて10回行なった文化講演会は、報道・教育・ビジネス・音楽・写真・グルメの専門家の方によるお話のほかに、旅行代理店の旅行説明会、また、マジックショー、紙芝居の会と、ジャンルも多岐にわたり、のべ200名様にご参加いただいた。

 

ではいよいよ、本題のパーティーの話に移ろう。正確に言うと、パーティーの準備の話である。パーティーの話は、ここで語る必要はない。なぜなら、充分満足だったからである。プロのイベント業者に頼んだわけでもなく、なにからなにまで、13人の素人スタッフで準備・進行したにしては、上出来だった。だが、そのパーティーまでの3ヶ月は、それはまさしく「七転八倒、ここに極まれり」の日々なのであった。

 

パーティーの準備で大変だったものナンバー1、それは意外にも案内状作りであった。もちろん、今回は見栄をはりたいので手作りではなく、ちゃんとした専門店に依頼した。この店が問題だったのではない。市場の中にある質素な店ではあったが、いい仕事をしていた。値段が折り合わなかったわけでもない。分厚い素材で作った金箔仕上げのリボンつきカードが1枚80円では、誰も文句は言えまい。では何が大変だったかというと、私、である。この「私」の扱いに困ったのである。

まったくこいつ(私のことです)ときたら、てんで決断力がないのである。案内状の原稿なんか、実は昨年の9月から作り始めていて、今年の1月にはすでにどこをつつく必要もないほどに仕上がっていた。でも、印刷に回せないのである。もしかしたら、まだ間違いがあるかも…、もしかしたら、もっといいデザインがあるかも…とぐずぐず悩んだあげく、スタッフみんなにチェックしてもらっているうちに、データがいくつもできてしまい、いったいどれが最新版なのかわからなくなってしまうという状況に陥り、最後はもう、やけっぱちでお店に持っていったような感じであった。

次に大変だったのは、10周年を記念して製作したメモリアルビデオ。何が大変だったかというと、これも問題は「私」であった。とにかく自分でやりたい。原稿書きも、撮影も、選曲も、ナレーションも、自分でやって自分で納得した上で完成させたい。そんな私は、家庭用ビデオカメラを携えて、各クラスにお邪魔して撮ったり、受講生の方に突撃インタビューしたり。週末は、あるときはスディルマンの陸橋に一人たたずみ、あるときはブロックMの喧騒の中に身を置き、カメラを回し続けた。

だが、メモリアルビデオ製作の最大の難関は最後に待っていた。それは編集である。編集作業自体は、以前テレビ局に勤めていたフリーランスのエディターさんに担当してもらったが、私ときたら、気になるところが毎日変わる。一度に全部気がつけばいいのに、毎日毎日いくつかずつ気になることが出てきて、そのたびごとにエディターさんに再編集してもらう。さぞかし彼は、なんてこまかくうるさいやつだと思っていたことであろう。


 以上二つが、準備が大変だったことベスト2であるが、ほかにも思い出せばいろいろあった。

 
 いろいろ・その1−衣装作り。
 はじめは各自自由に当日の衣装を用意するつもりでいたが、ある日スタッフから、「先生、お揃いの衣装を作るなんてのはどうですか」という意見が出た。確かにそれは立派な感じがする。なにしろ、今回の10周年記念パーティーのキーワードは、「立派」である(いつ決まった?)。だから、頭の中に「立派」というランプがつくと、私はすぐに「いいね、それ!」と反応するようになっていた。

だが、立派にしたいが、お金はあまりかけたくないという、なんとも厄介な思考システムを持った私は、スタッフにまず、かかる費用の調査を実施させた。そして、生地代と縫製代あわせて一人あたま20万ルピアでクバヤとサロンの上下セットが可能であることがわかった時点でやっとOKを出した。生地はお揃いだが、デザインは各自の好みで作る衣装は、13人中12人が女性というJCCスタッフにはたまらない喜びであったらしく、しばらくはみんなの関心がそれに集中してしまい、仕事にならなかった。

 

いろいろ・その2−コーラスの練習。パーティーで、スタッフみんなでコーラスをしようということになり、週2回、昼休みの短い時間を使って、「メラ・プティ」という歌をインドネシア語と日本語で練習したのだが、初対面でも瞬時にして話が盛り上がるインドネシア人のこと、昼休みにスタッフ18名が一同に揃えば、わーわーぎゃーぎゃー、うるさいったらありゃしない。集合してから練習が始まるまで、わーわーぎゃーぎゃー、ちょっと間違えるとわーわーぎゃーぎゃー。今思えば、あの忙しい時期、それを収束させるのにいかに莫大な時間を費やしたことか。

記念品の作製にも、かなりの時間と神経を遣った。JCCカレンダー、バティック製ボトルケース、特製ファイル…。デザインを決め、安くていい物を作る店を捜し、そのあとは、注文、手直しの繰り返しだったが、さすがに3月に入ると、案内状のときのように石橋を叩いて渡る時間はなくなり、片っ端からOKを出していく私であった。

 

だが、最後の最後に、最も巨大な難関が待ちうけていた。少しは予想していたが、こんなに大変なものだとは…。その難関のせいで、私は毎日のように、「いつか頭の血管が切れてしまうかも…」という恐怖に襲われることになる。巨大な難関―それは、日本とバリからお祝いに駆けつけてくれた、私の家族・友人18名様の一挙同時アテンドであった。

10周年記念行事狂想曲、なにせ10年に1度のネタなので、3回まで引っ張ります。おつきあいくださいまし〜!          
 


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