Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
106回


2007年 8月



著者:甲斐切清子
 

 

【先月号のあらすじ】

10年に一度しかないパーティーだからこそ、力はかなり入る。招待状から記念ビデオの作製、さらには衣装を揃えたり、コーラスの練習をしたり、怒涛のごとく過ぎ去っていったパーティーの準備期間であったが、実はそのあとに、もっとすごい嵐がやってこようとは…。JCC創立10周年記念特別寄稿(?)「日本語学校創立記念行事・七転八倒物語」第3回目は、日本とバリからお祝いに駆けつけてくれた、家族・友人18名様の一挙同時アテンド(お世話・接客・ご案内)編。皆様にも多かれ少なかれ経験があるであろう来客のアテンドを、どうぞ思い出しながらお読みください。

 

2007年3月22日(木)、晴天。

パーティーの準備はほぼ完了した。というより、未完の事柄があっても、もうすでに私は関与できない。すべてをスタッフに委ねるしかない。なぜなら今日から私は、全身全霊をかけて、お客様のアテンドに集中しなければならないのである。

本日20時、東京から8名様、22時に福岡から6名様、00時にバリから5名様を、それぞれ乗せた飛行機が到着する。いずれも大切なお客様が乗っているので、必ず私自身がお迎えに行かねばならない。

 

それにしてもなんというスケジュール。到着時間が2時間違いで3便、これは厳しい。1時間違いぐらいだったら、先に着いた方に、お茶でも飲みながら次の便を待っていただくのだが、長時間フライトのあとの2時間待ちは、とてもではないがお願いできない。JCC車は、さながら市内と空港を結ぶシャトルバスのように往復を繰り返さなければならないだろう。

たとえば、ウェルカムゲートで、「いらっしゃいましー、まあまあ、遠いところお疲れになったでしょ〜」とか、「ひえー、暑いじゃん、やっぱり常夏の国なのね〜」とか、いろいろ盛り上がりながら車に乗っていただいて、高速を突っ走り、市内に着くまでが、まず少なく見積もっても1時間。ホテルに着いてチェックインして部屋に入り、「お! なかなかのホテルじゃん〜!!」とか、「わぁー、眺めいい〜、ねぇねぇ、あの万年筆みたいなビル、なに〜?」とか、「ぎょえええー、ドライヤー忘れたー、どうしよー」とか、そんなことを言っているお客様に、「ええ、まあ、そうですか、そうですね、ほほほ」などと言っているうちに、ゆうに30分は過ぎる。そしてみんなの目を盗んで空港に向かう。不幸にもこのときに、ジャカルタ名物マチェット(渋滞)なんぞにひっかっかったら、すべてがパー。次の便でいらっしゃるお客様は、迎えがなくて呆然と佇んでいるところを、無礼きわまりない荷物運びの兄ちゃんたちや、怪しげなトランスポートのおっさんたちにつかまってしまうかもしれない。あるいは、たとえ私の「どこの誰にも、ついていかない、持たせない」という言いつけを守っていたとしても、遠路はるばるやってきたのに迎えもないのか! といきなり不機嫌になってしまうかもしれない。

というわけで、考えに考えた末、次のような策をとった。最初に空港に向かうとき、日本人スタッフのT先生と一緒に行き、20時、東京組が到着したら、ホテルには東京組と甲斐切だけが向かい、T先生は空港に居残り福岡便到着に備える。T先生がいるので、たとえ私が空港に戻るのが遅れようが、飛行機の到着が早くなろうが、心配無用である。

そして、最後のバリからやってくるバリ人ファミリーのお迎えは、さすがにパーティーを3日後に控えて無理をしてはあとにたたると思い、運転手のサムちゃんに任せることにした。

そして深夜2時過ぎ。それぞれが、ホテルそして私の自宅におさまり、旅の疲れを癒すべく眠りについたのであった。

 

迎えた23日は、学校見学のあと、「ジャカルタ市内ツアー」を決行した。ブルーバードバスを借りて20名で、モスク、カテドラル、スンダクラパを観光。お昼はパダン料理を手で食べていただくというおまけつきである。

ところで、こういう団体ツアーでよく発生するのが、トイレ問題である。行く先々で「トイレ行く人いますか〜」と尋ねるのだが、

「まだいい〜」と言いながら、バスが走り出してしばらくしてから「えーと、トイレ行きたいんだけどぉ」と言い出す人が必ずいる。団体ツアーのときのトイレに関しては、「まだいい」ではなく、「じゃあ、行っておこう」の姿勢をとってほしいものである。

 

翌24日は朝一番で、ジャカルタ日本人会にて「坂井志満さんの紙芝居の会」、お昼は日本食レストランで「日本料理体験ツアー」、そのあとはJCCにて「桂小文治落語会」と、すさまじいスケジュールで一日が終わった。だが、本番は明日なのである。スタッフみんな、今日一日、おつかれさま。明日のパーティーのためにバッテリー、充電しておいてね! と、後片付けに励むスタッフに言って、お客様を食事にご案内。

 

そして迎えた3月25日(日)。300人ものお客様においでいただいたJCC創立10周年記念パーティーは、大きな問題もなく行なわれ、ほっと一安心であった。本当はここで大きな達成感とか、充実感で身体が満たされるのであろうが、今回はそうはいかなかった。なぜなら、明日からご一行様はバリにいらっしゃるのだ。

Fantasic Night in Bali

(図1)

(図2)

(図3)

(図4)

(図5)

スタッフは、「いいなー、先生、バリかぁ〜」と、よだれをたらしているが、とんでもない。「総勢19名様・3泊4日ド根性バリツアー」は、「夏休みに恋人と行く魅惑のバリツアー」とは、まったく異なる。きっとトイレ問題みたいなことが、分刻みでやってくるに違いない。バリに向かうスカルノハッタ空港で、すでにわけのわからないお金を係官からせびり取られた小文治師匠を見て、それを強く確信する私であった。

 

はたしてそれは、バリ到着初日の夜に、いきなり台風1号・2号・3号が束になってやってきた、という感じで私たちのツアーを襲った。

まず、着いたとたんにいとこの子どもが外耳炎になり、痛みで泣きもだえる一大事に。夜の10時、ホテルにお医者様に来ていただき、注射やら投薬やら。なんとか収まったあたりで、ふと気がついた。そういえばジャカルタにいるときから調子を崩していた友人の容態が一向によくならない。よし、と、ついでに診てもらう。

その後、2人分の保険の申請手続きの代筆やら翻訳やらで、それぞれ1時間(図1)。友人の部屋を出たのは夜中の2時を回っていた。

そして、ようやく部屋に戻り、中で待つ姉にドアを開けてもらおうとチャイムを鳴らしたそのときである。廊下を挟んで向かいの部屋のドアがバァーンとあいて、「×>*+*%*ー!!」(図2)。外国語だったので聞き取れなかったが、たぶん、「うるせー、何時だと思ってんだぁぁぁー、しずかにしろーー!!」と怒鳴られたのだと思う。緊急事態でよほどバタバタ廊下を行き来していたんだなぁ。スンマセン

部屋に入って、ふらふらになった身体をギクシャクと動かしながらパジャマに着替え、すでに半分閉じているまぶたで私はパソコンを開いた(図3)。実は明日はJCCのお給料日で、私はまだ給料計算をしていなかったのである。そのお給料計算の2,3人目が終わったころであった。ピンポーン!

あちゃー、また怒られるよ、誰だねいったい〜と思ってドアを開けると、いとこの嫁さんが情けない顔で立っている。

 「すがちゃ〜ん、締め出されちゃったぁー」

 聞けば、お帰りになるお医者様にドアの前でお礼を言ってお辞儀をしたところ、お尻がドアにあたってパタァ〜ンと閉まってしまったという(図4)。部屋の中には薬でやっと寝付いた娘と、疲れ切ってぐっすり眠っている息子。チャイムでたたき起こすにはかわいそうと、助けを求めにやってきたのだ。

「あのさ、レセプションに行って、ドアが閉まっちゃいましたって言えばいいのよ」と言っても、旅慣れしていないいとこの嫁さんは、「え」と自信なげ。お給料計算はまだまだ時間がかかりそうである。しかも私はすでにパジャマに着替えているのだ。一瞬弱気になった私に助け舟を出すように、姉が「じゃ、私が一緒に行ってあげるよ」。二人が出かけた後、すぐにレセプションに電話。「いまそちらに日本人女性が二人行きますので、ドアの鍵をお願いします」。やれやれ、一件落着。

その後、再び給料計算に頭を切り替えることができず、ついに午前3時、力尽きた私はベッドにもぐりこんだ。そして翌朝6時に目覚まし時計で起床、寝不足の目をこすりながら給料計算を終わらせ、ジャカルタに送信したのであった(図5)。

 

さて、自宅に帰ってしまったバリの家族を除いた14名の「3泊4日ド根性バリツアー」は、ラフティングでインストラクターのお兄さんが溺れそうになる事件や、市場で値切りに値切って買った絹のスカーフがお勘定のときにすり替えられてしまうという事件や、日没が美しいレストランを予約したものの、着いたらすでにとっぷり日は暮れており、目の前には闇が広がるのみの浜辺で食事をするはめになった事件やなんかにまみれながら、あっという間に過ぎていった。

そして3月29日、バリからジャカルタに戻る日。ここでメンバーの2名が日本へ直帰。さすがに、1週間をともにした人たちと別れるのはさびしい。

しかし、残りあと2日となった休日への貪欲なまでの期待は、しっかりジャカルタに向けられている。外耳炎で苦しみ、もしかしたらしばらく飛行機には乗れないかも…そうなったらバリで療養するしかないですね、とお医者様に言われたいとこの子どもも、幸いすっかり元気になってジャカルタ行きの飛行機に乗った。

深夜にジャカルタに着いた11名は、私の自宅に5名、自宅近くのホテルに各2名づつ3部屋に落ち着いた。

 

さて、その翌日。帰国まですでに秒読み段階である。そもそも、甲斐切の家族・友人同士の集まりで、しかも1週間も一緒に旅行してきているので、そのころにはお互いにすっかりうちとけ、遠慮せずに自分の意見や主張を言えるようになっていた。

「有名なあの店に絶対行く。そして必ず一枚いいバティックを買う」

「ホテルでゆっくりしたい。でも昼ごはんはみんなと一緒に食べたい」

「マッサージしてもらう。3つぐらいいろんなところをはしごするのが夢」

「安い店でひたすら雑貨を見て歩きたい」

JCCでマンガ読んでる」

てんでばらばらのこのリクエストを私はどう収拾すればいいのだ。しかも車はJCC車一台だけ。タクシーを使わなければどうにも間に合わない。だが、インドネシア語が話せる友人でさえ、「えー、タクシー怖いもーん」と言って、自らの力で行動しようとしない。そんなわけで再びJCC車のピストン送迎が始まる。JCCの頼もしい専属運転手サムちゃんの出番だ。

「サムちゃん、まず朝は私と3人は先に学校へ行くから、そのあとすぐにホテルに行って、5人をピックアップして。残ったもう一人は友達がホテルに会いに来るらしいから、そのままでいいよ。あ、それから、後発の5人の中の一人はJCCで降りるからね。で…」と、頭の中で、取り残しがないか、必死で整理しながら話す。そして行く先々で、みんなのためにマッサージの説明やら店内案内やら値切り交渉やらをしなければならない。でも、値切り交渉しながら、「あ! もうこんな時間!! マッサージ終わってるから迎えに行かなきゃ〜」とほかのスケジュールの頭をめぐらせ、ほんとうにいつ血管が切れてもおかしくないほど、思考を集中させていた。

だがみんなに、「やりたいことを言って! 準備するから。行きたいところを言って! 案内するから」と言っていたのは、ほかの誰でもない、私である。JCC10周年のために、お車代も出ないのに、はるばる遠いジャカルタまで来てくれた親戚や友人たち、ほんとうにありがとう。落語家の桂小文治師匠や声優の坂井志満さん、アナウンサーの西谷裕子さんに至っては、ノーギャラでたくさんのエンターテイメントにご協力いただいた。本当に持つべきものは友人。心から感謝している。

 

JCCに3ヶ月間鳴り響いた10周年記念行事協奏曲は、3月31日、スカルノハッタ空港でご一行様をお見送りしてその幕を下ろした。

実は、お客様が帰ってからきっかり2週間のあいだ、私は毎晩、お客様をアテンドしている夢を見た。誰それが来ない、時間が間に合わない、車が足りない…。目が覚めるたびに、あ〜、夢だったと安堵。パーティーの夢は見ないのに、アテンドの夢ばかり見るというのは、それだけあの10日間は強烈だったということだろう。

だがしかし、忙しくあわただしくも、やはり充実した日々だった。10年後にまた同じことをやれと言われれば、私は喜んでやるだろう。          


 


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