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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
107回


2007年 11月



著者:甲斐切清子
 

 

私の誕生日は93日である。数年前までは、インドネシア人のお誕生日騒ぎ好きに乗せられるような形で、自宅でパーティーをしていたが、ここ45年はなんとなく面倒になっていたし、またそれ以上に、もうこの年でお誕生日会もないだろうという気持ちに至ったこともあり、パーティーはとんとご無沙汰になっていた。だが今年は半世紀生きた記念の誕生日である。祭好きな私が、これを見逃すはずはない。しかし、実を言うと、私が今年の誕生日に力が入ったのには、他にも少々わけがある。


 私の高校時代の友人がスイス人に嫁いでユングフラウのふもとでゲストハウスをしている話は、たしか2年ほど前にこの日本語教師七転八倒物語にも書いた。

その友人が誕生日を迎えた5月のある日、私は「おめでとう! 一足先に大台だね!!」と、お祝いメールを送った。なのに、彼女からありがとうメールも確認メールも来ない。まめな子なのにどうしたんだろう? と思い始めた矢先に、「ごめーん、返事遅くなって〜!」というメールが届いた。そのメールの、その先の文章が問題であった。

「ごめーん、返事遅くなって〜〜〜! 大台の誕生日のお祝いにってルーカスがパリ5日間の旅に連れて行ってくれたの」

ルーカスとはお察しいただけるとは思うが、ご主人の名前である。そのご主人が、誕生日のお祝いにパリ5日間の旅に連れて行ってくれたというのだ。誕生日のプレゼントが、パリ5日間の旅??? なんておしゃれ! なんてかっこいい!!  なんてゴージャス!!! そして彼女のメールは、打ちのめされる私の気持ちなどヨソに、容赦なく続いた。

「それでね、今日帰ってきたところなの。で、家に着いたら子どもたち3人が夕飯を作って待ってくれていたのよぉ〜!」


 ここで一度整理してみよう。

友人M、大台の誕生日に、ご主人が、パリ5日間の旅をプレゼントしてくれる。もちろん、夫婦二人きりの。そして、熟年旅行をたっぷり楽しんで、戻ってきたら、かわいい3人の子どもたちが夕食、いや、ディナーを作って待っていてくれた…。ぬぬぬぬぬーーー、はっきり言って、めちゃくちゃうらやましーぞーー!!!


 だが、私の場合、主人と名のつく人間はいない。もちろん、主人と名のつく人に代わってパリ5日間をプレゼントしてくれる素敵な人も見当たらない。主人がいないんだから、子どもなどどこをどうひっくり返してもいるはずもなく、結局、自分の誕生日は自分で企画演出するしかないのが現実。


 というわけで、誕生日はまだ4ヶ月も先だというのに、私は真剣に考え始めた。今年は23歳とか35歳とか47歳とか、そんな中途半端な誕生日ではない。スイスの友人のように、インパクトの強いなにかを残さねば、23歳とか35歳とか47歳のときのように、何をしたんだかさっぱり覚えていない誕生日になってしまう。考えに考えた末に出てきたのが以下の三案である。

@     いまだかつて買ったことのない豪華なジュエリーを買う。

A     大勢の人を招待してプールサイドパーティーを開く。

B     長年の夢であった1年間のイギリス語学留学を果たす。

 案が浮かぶごとに、いいじゃんこれ、いけるよこれ、とほくそ笑みはするのだが、どれもこれもどうもいまひとつぴんとこない。

豪華なジュエリー? だいたい私ってば昔からジュエリーには興味がないんじゃないの。10万円の値札がついた指輪と、バンコク往復航空券を目の前にぶら下げられたら、迷うことなく航空券を選ぶ私に、いまさら豪華ジュエリーもあるまい。

プールサイドパーティー? こりゃまた、まったく私のガラではない。プールサイドでおしゃれなドレスを着てワインを傾けるという業が、うちの無邪気なスタッフや、粗野な友人などにできるとは思えない。いや、なにより私自身に、そんなかっこいいパーティーのホストが務まるわけがない。それならよっぽど、ブロックMのアヤムバカールの屋台を貸し切ったほうが私らしい。

1年間のイギリス留学、これは問題外。まずスタッフからOKが出るまい。無理やり行ったとしたら、戻ってきたときに私の机はないだろう。いや、そんなことより、もともと5年後用に考えていたことだから、そのための資金がまだぜんぜん貯まっていない。

 私は窮地に追い込まれた。このままでは、私の記念すべき半世紀おめでとう誕生日は、いつもと同じ、スタッフや友人からメールをもらい、自分で買ってきたバースデーケーキをスタッフに食べてもらってハイおしまい、になってしまう。それだけは断じて避けたい。


 私は必死で考えた。そしてはっと気付いた。そういえば、私の夢のひとつに夜景の見事なアパートメントに住む―というのがあるではないか。だが私の甲斐性では、月1000ドル以上もするアパートには住めないので、いまだに月400ドルの一軒家に住んでいるのだ。そうしてみるとだ、私の夢をかなえるためにも、あの、3月の10周年記念パーティーのときに、日本からのお客様たちのために予約したアパートメントホテル、あそこに泊まるってのはどうだ? 

そこはスディルマン通りの脇にある57階建てのアパートメント兼ホテルで、ジャカルタのアパートメントの標準装備であるプール、フィットネスルーム、テニスコート、レストランに加え、ホテルとしての設備も、サロン、両替商、カフェなどすべて揃っており、たいへん贅沢な生活が満喫できる。しかも、大通りに面しているので見事なまでの絶景。夜景など、もう現実のものとは思えないほど美しかったではないか。


 よし、と私は決心した。あのアパートの高層階の部屋を借りて、うちのスタッフたちとパーティーだ! 浮かんだとたんに、これってめちゃめちゃナイスじゃん! とうれしくなり、さっそくそれを副校長のデシに伝えると、人のお金で高級ホテルに泊まれるとあって大喜び。そして彼女が言い出したのが、「みんなで泊まるとなると、夜中にカウントダウンパーティができるね、先生!!」

く〜、さすがデシ、10年も私とつきあっているだけに私が喜びそうなことを知ってる。

かくして91()夜から3(月)の3日にかけて、ジャカルタの目抜き通りスディルマン通りにあるアパートメントホテルの3LDKの部屋を借り、「大台を祝うカウントダウンパーティーつき23日アパートメントホテル・バースデーステイ」を決行することになった。

 

91日は学校で2つの行事が重なっていた。それを見届けてから私は現場(アパートメントホテル)に直行した。先に行って料理を始めておくためだ。レセプションで渡された鍵は5506。なんと55階。1階分の高さを3メートルと考えれば、ざっと165メートル上空でこの3日間を過ごすのである。いつもは自宅も学校も2階建てなので、この高さは圧倒的だ。

エレベータで55階まで上り、5506とあるドアの前に立つ。鍵を差し込み、ドアを開ける。部屋の中は非日常・超現実であふれていた。ひとりできゃあきゃあ興奮しながら楽しんだあと、対面式キッチンで景色を眺めながら料理する。この現実に私は打ち震えた。眼下に広がる暮れゆく大都市ジャカルタ。いくらも経たないうちに数え切れない灯りの中に景色は埋もれていく。夜景を見ているだけで、すっかりセレブの仲間入りをした気分になるから不思議だ。そうこうしているうちに、スタッフがやってきた。高級アパートメントホテルの設備を目の当たりにしながら部屋までたどり着いたみんなの表情は、やけにうれしそうである。入ったとたん、私がやったようにきゃあきゃあと部屋を見て回っている。こんな楽しみ方もあったんだなぁと、彼女たちを見ながら改めて思う。

 そして2日の夜0時前。

109876543210、おめでと〜!!

カウントダウンで誕生日を迎えたなんて、考えてみれば初めてである。感激! そしてかなりハッピー!!

私はスタッフのおかげで、家庭とか家族とかの疑似体験をさせてもらっているような気がする。もちろんスタッフにとっては、ただのうるさいボスでしかないのだろう。怒ったり叱ったりして、つらい思いをさせることもある。しかし、私にとってスタッフはかわいい子どもたちである。勝手な思い込みかもしれないが、私は、スタッフという子どもたちがいるからこそ、毎日がんばっていられるのだと思う。


 とても幸せな誕生日であった。スタッフがテーブルを囲んでわいわい話していて、台所で私が料理をする。一品できるごとにみんなの前に出して、そしてまた私はビールを片手に台所に立って次の料理にとりかかる。目の前には見とれんばかりの夜景。50歳最初の日は、私の夢を形にしながら、そんなふうに更けていった。          


 


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