Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
 Since 1997

よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
108回


2007年 12月



著者:甲斐切清子
 

 

先月号で、自分の誕生日祝いにアパートメントステイをした話を書いた。将来の夢のひとつとして、夜景の美しい高層マンションに住む―というのを掲げている私にとって、これはよだれもののプレゼントであった。ナイスなアイデアに自分で自分に拍手を送ったほどだ。もちろん、一泊100ドル×2泊=200ドルは、誰が払ってくれるわけでもない。自腹を切ったわけだが、それでもいい。それができる自分になったことがうれしい。

そうして私の夢はかなえられた。3LDKのホテルアパートメントは、グッドビューの寝室が3つがあり、対面式のキッチンを備え、ゆったりとしたリビングセットが置かれ、隅から隅まで間接照明を駆使したムーディーな演出がなされていた。じっくり味わえば味わう分だけ時間は過ぎていく。11秒、時の経過が口惜しい。48時間経てば、私はここを離れなければならない。まるでシンデレラみたいだ。たった2夜だけのセレブな生活。この2夜が過ぎれば、私は持ってきた調味料一式を持って、すごすごと自宅に戻らなければならない。だが、それでもいい。終わってしまうことを考えずに、私はこの時間を楽しもうと決心した。

 

ところで、私の理想のアパートメントライフは、一言で言って、「大人の、リッチでスタイリッシュな中にもパーソナルなテイストの香るシンプルライフ」である。これのどこが一言だ? と、書いていて自分でもよくわからなくなったが、その説明の複雑さから乙女の微妙な願いを感じていただきたい。

その、「大人の、リッチでスタイリッシュな中にもパーソナルなテイストの香るシンプルライフ」を経験するために、私は、部屋に集まったスタッフたちにすぐさま宣言した。

「今回のアパートメントホテルステイに関して、ひとつだけご協力いただきたいことあり! テレビはご法度! この3日間、テレビは飾りだと思うべし!!」

一瞬ざわざわ…としたが、誰の誕生日で、かつ誰がホテル代を払っているかがわかっている彼女たちは、すぐに「は〜い、わかりましたぁー」と言ってくれた。安堵した。

どうして私がこんな無粋な宣言をしたかというと、テレビというものは、つけるといきおい現実の世界に戻ってしまう。また、いったんつけるとなかなか消せなくなるものでもある。しかもこれがインドネシア人の手にかかると、これはもう凶器としか言いようがない。朝起きたら一番最初にすることは、マンディよりトイレより朝ごはんより、まずテレビのスイッチオンである。しかもかなりでかい音量。みんなこんなボリュームで聞いていると難聴になるよ、いやもしかしたらインドネシア人は基本的に若干難聴の気があるのかも…と感じることもしばしば。考えてみれば、テレビに関しては苦い思い出がたくさんある。

あれは何年前だっただろう。スタッフツアーで高原リゾートの別荘を借りたときは、なんと1日中テレビがついていた。いつも誰かがそれを見ていた。テレビを見るんだったら、ジャカルタにいるのと同じじゃないのさ! せっかくの休日、せっかくの自然、せっかくの避暑地、鳥の鳴き声を、木々のざわめきを、風のなびく音を楽しもうじゃないの! という私の主張など、「だって退屈じゃん」の一言でこっぱみじん。だから、私にとってのジャカルタの高原リゾートは、テレビ漬けの日々というイメージしかない。

また、以前、私の家で誕生日パーティーをしたときのことだった。いつの間にか居間にあるテレビのスイッチが入っていた。他人(ひと)の家に来て勝手にテレビをつけるなーーー! しかもパーティーの真っ最中だぞぉぉぉ〜〜〜! と腹の中で怒り、黙って消したのだが、しばらくして居間のほうから「誰よ〜、テレビ消したのぉ、見てたのにぃ!」と不満そうな声が聞こえてきた。はぁ、そうでしたか、そりゃまた、すみませんでしたねぇ。

…などなど、このような経験があり、私は心を鬼にしてスタッフに宣言したわけである。

だが、敵もさるもの、テレビがないとくりゃ自分たちがテレビになる。しゃべるわ、歌うわ、笑うわ、まるで大音量でバラエティ番組をつけているよう。私が居間でお気に入りのCDをかけて料理しているので、気を利かせてほかの部屋でしゃべっているのだが、なにせ大音量なものだから、CDなんか聴こえやしない。

そしてこのとき私のほかにもう一人、迷惑をこうむっている人間がいた。それは日本人スタッフ・T先生である。T先生は締め切り直前の仕事を抱え、ノートパソコン持参でやってきていた。唯一の男性スタッフの特典として一人部屋を与えられたT先生は、最初、夜景が見渡せる窓のそばのデスクにパソコンを置いて、「まるでホテルステイのビジネスマンになったような気分ですね〜」とゴキゲンだったが、集中力を要する原稿を書いているうちに、ホテルにカンヅメにされて仕事する神経ぴりぴりの小説家のようになっていた。開けっ放しのドアからは背中しか見えないが、きっと眉間にしわをよせ、うんうんうなりながら画面とにらめっこをしているのだろう。そんな状況下でこのスタッフたちの騒ぎはきついだろうなぁ、でもしかたないよなぁ、と心配していたら、しばらくして大音量の生バラエティが聞こえなくなった。ん? どうしたんだろう、まさかみんなこんな時間から寝ちゃったわけじゃないよね…と不思議に思い、みんなの部屋に向かったその途中、私は信じられない光景を目にした。それはT先生の部屋の中で起きていた。

いつの間に人民大移動が起きたのかはこの際問題ではない。その、T先生の部屋には、T先生が眉間にしわを寄せて仕事をしているデスクのそばにベッドがあるのだが、そこに女性スタッフ2名が寝転がって、あーだのこーだのしゃべっているのである。そして、立ちすくむ私に気付くこともなく、続いて彼女たちは寝転がったまま歌い始めたのである。

〜〜〜♪〜〜〜♪♪♪―――♪〜〜!!

あまりの驚きに、私には彼女たちが歌っている曲が思い出せない。だが、横になったまま、足をぶらぶら手をぶらぶらしながら、そこに神経ぴりぴりの小説家がいることなどお構いなしに歌っているのだ。T先生を見る。背中しか見えないが、当然困惑しているはずである。いや、はっきりくっきり言うと、大いに迷惑しているはずである。だが心優しいT先生は、うるさい! と注意することも、お願いだからあっち行って! と頼むこともなく、逆境の中、ひたすら締め切りと戦っているのである。その優しさと根性を考えると、今私が口を出すのはうまくないだろう。そう思って私はその場を去った。だが私のその判断は間違っていた。

数分後にその現場で起きていたことは、文章にするにはあまりに残酷である。とにかく状況はひどく悪化していた。劣悪化と言ってもいい。T先生の背中からは、すでに優しさは発せられてはいなかった。ただひたすら忍耐というバリアーを張って自らを守っていた。

 

インドネシア人をとても子どもっぽいと感じるときがある。無邪気と言ってもいい。だが、日本人も束になれば同じようなものである。カラオケで歌い騒ぐとき、飲んで酔っ払ったとき、海外旅行ではしゃいでいるとき、その無邪気さはインドネシア人と同じだ。

日本人にとってのインドネシア人、インドネシア人にとっての日本人。体のサイズが同じで、目と髪の色が同じってことは、すでにそれだけで近づきやすい相手であるはずだ。子どもっぽいだの、感覚が異なるだのと、自ら境界線を引く必要はない。私たちも、日本人はすましているだの、傲慢だのと、境界線を引かれたくはない。


 

2007年―。日イ交流の場を目指してスタートしたJCCが、創立10周年を迎えた記念すべき年。すばらしいスタッフに恵まれた実り多き一年であった。また、私がジャカルタに来て丸15年を数える年でもあった。節目に当たるこの年に、半世紀生きた記念すべき誕生日を迎えられたことを、本当にうれしく思う。          


 


ご感想をお寄せください

 Jakarta Communication Club

JCC1- Jl.Cipaku2 No.27 Kebayoran Baru Jakarta Selatan 12170 INDONESIA
(TEL) 7203966/72791829 (FAX) 7203966

JCC2 - Jl.Cipaku2 No.4 Kebayoran Baru Jakarta Selatan 12170 INDONESIA
(TEL) 7257266/7250530 (FAX) 7257266


http://jccindonesia.com