Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 


日本語教師七転八倒物語
115回


2008年 11月&12月



著者:甲斐切清子
 

1994年にジャカルタへ来てからずっと一軒家住まいだった私が、昨年11月からアパートメント(以下、アパート)暮らしになったことは何度かこの「日本語教師七転八倒物語」にも書いた。

私は、バリに自分が設計したバンガローを建てたいとか、落語ができるようになりたいとか、イギリスに英語留学したいとか、叶えたい夢が図々しくもまだまだたくさんある。そのひとつに、東京で夜景のきれいなマンションに住みたい…というのがあった。だが今現在の私の生活の拠点はジャカルタ。どう考えても東京のマンションなんて縁がない。そこであるとき私は思いついた。私の頭の中で、「夜景がきれい=都会=東京」となっているわけだから、その方程式の「都会=東京」を、「都会=ジャカルタ」に置き換えればいいのではないか。幸いにもここジャカルタは高層ビルがたくさん建っていて、見事な夜景を見せている。また、以前だったらアパート、イコール外国人用の高級住宅であって1か月2000ドルだの3000ドルだのという家賃がついていた。とても薄給の日本語教師に払える額ではなかった。だが、今やそこらじゅうに雨後のタケノコのように中級アパートがそびえたっている。

そんな中から見つけたのが、今のアパートである。日本人がたくさん住んでいる豪華な設備が自慢の高級アパートとは異なる。それでも、毎晩疲れて帰ってくる私を、35階建ての美しい立ち姿で迎えてくれる。本当に移ってよかったと実感した1年であった。だが、災難は忘れたころにやってくる。油断大敵インドネシア。それは、あと1ヶ月でアパート暮らし丸1年を迎えようとする9月のある朝のことである。

 

その日、私は朝の身支度をすべて終え、今こそ出勤というときを迎えていた。それは冷房を消そうとリモコンを手に取った瞬間だった。スイッチをオフにもしないのに、ぷつっと冷房が切れた。は? と見ると、台所のコーナーライトまでが消えている。ブレーカーが落ちたのかな、と思って調べてみたがそうではない。停電だった。

「わ〜、アパートでも停電になるんだー」

私の最初の反応はこうだった。10年住んだTebetの一軒家では1年に数回停電が起きていた。学校でも、昔から比べると少なくなってはきたが、雨季などになると結構頻繁に停電になる。それに考えると、今回は入居1年目にして初めての停電。珍しさと面白さが心の中を占め、それが私の危険察知能力を下げていた。

だがそれも数分のことであった。

「ま、私はこれから出勤だから、ここが停電でも問題ないけどね!」と、靴を履いてドアを開けたとたん、気づいたのである。

エレベータ。そうだ、エレベータ! エレベータは電動ではないか。とすると、今エレベータは動いていないということか!!

高層アパートの停電。それはそのままエレベータが使えなくなるという最大の問題を抱えていた。2階か3階に住んでいるならまだしも、私は29階の住人である。どうすればよいのだ!
 まずは、いつ復旧するかアパートの管理事務所に訊ねてみようとインターホンをとった。だが、インターホン自体が停電でつながらない。さっさと諦めて自宅で仕事をするかと思ったが、今日は、その時間には家を出て学校に向かわねばならない大切な用事がある。それよりなにより停電の家にいたって何の仕事もできるわけがない。そして私はついに覚悟を決めたのである。

「非常階段を下りよう!」

履いていたヒールを運動靴に履き替えた。荷物を見る。運の悪いことにこの日は、先に述べた用事のためにどっさりの書類とラップトップを持っていかねばならなかった。

あまりの重さにどうしようと逡巡し、そうだ! コロ付きのスーツケースに入れようと思いたったが、階段を下りていくのにコロ付きスーツケースが何の役に立つのだ。結局、右手にバッグとシューズ袋、左手に書類ケース、肩にラップトップをぶら下げて部屋を出た。

廊下にある非常階段のドアをゆっくりと押して入る。手すりから下を見下ろす。小さな窓からほんのわずかな明かりが入っているが、眼下には、ぐぉぉぉぉぉ〜〜〜〜ん、という感じでアクション映画によく出てくる底の見えない奈落があった。「ムリ!」 私は一言つぶやいてさっさと部屋に戻った。

 

そして部屋で今後の対策を練っていた私は、ふとあることに気付いた。もし私が5分早く部屋を出ていたら、エレベータに閉じ込められてしまっていたのではないか。2年前の怖ろしい記憶がよみがえってくる(参考:「日本語教師七転八倒物語・第97回」)。停電になってからすでに20分。今も、あのときの私のように、獣と化して助けを呼んでいる人がいるのかと思うと、すぐにでも救助に駆け付けてあげたいが、いったい35階中のどのへんに位置しているのさえわからなかったのですぐにあきらめた。

とにもかくにもこの現状を誰かに知らせねばならない。まず駐車場に待機しているであろう学校車の運転手さんに電話する。

「サムちゃん、停電でさぁ、エレベータが動いてないから下りられないの。もうちょっと待っててね」

「そうらしいですね。ここにいる運転手さんたちみんなが今話しています」

話しているというより、電気がなけりゃ外にも出られない住居と人種にあきれているかも。

それから大事な用事のスケジュールを調整してもらうために、学校のスタッフに電話。

「ジュニ、停電でエレベータに乗れないから、時間を調整して」

「え、先生、じゃあ、今日は学校に来られませんか。明日は? いつまで??」

それは、こっちが聞きたい。

そして30分後、台所のコーナーライトがふっと灯った。ううむ、インドネシアにしては出来すぎの復旧の速さ。この異常な速さにかえって不信感を抱いた私は、再び停電が起こりエレベータが止まってしまうことを想定し、以下のものを備えてエレベータに乗り込んだ。

@長時間閉じ込められて暑さに耐えられなくなったときに着替えるための短パンとタンクトップ

A長時間閉じ込められて喉が渇いてしまったときのためのミネラルウォーター

B長時間閉じ込められて退屈になったときのための本

  幸いにも停電は再発せずエレベータは無事私を29階から1階まで運んでくれたのだが、それにしても冷静に考えればBはないよね〜。だって、停電ってことはエレベータの中のライトも消えてるわけだから。非常灯なんて絶対(活きて)ないだろうし。いずれにしてもしばらくは、不安(と@A)を抱えてエレベータに乗ろうと心に決めた私である。



 


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