日本語教師七転八倒物語
63回
2002年11月

著者:甲斐切清子
ものを知らないということは恥ずかしいことではない。それを知らなかった原因はこれまでの人生の 中でそれに関係する事柄に出会わなかったからである。だから初めてその事柄に直面したとき、素直に「それは
なんだ」とか、「どういう意味か」とかたずねればいいのである。ただ、我々はたずねようとしたときにふと「こんな ことを聞いたらバカだと思われるかも」とか、「ちょっと恥ずかしいな」とか、もしくはそのときの相手が運悪く
いけ好かない奴だったりすると 「こいつにだけは絶対聞きたくない」なんて思ったりして、悲しいかな、あとで すっかりそんなことを忘れてしまって知らないという現実を続けてしまうのである。「聞くは一時の恥、聞かぬは
一生の恥」とは、よく言ったものである。
問題は知らないことを知らないまま、ことをおこしてしまうことである。かくいう私もこのブリタジャカルタで
数々の失態をお見せしてきた。21世紀の数え方を間違っていたり、「フリーマーケット」の意味を混乱していたり、
それを堂々活字にしてインドネシア在住の何千という日本人のみなさまに読んでいただいたわけで、まったく
お恥ずかしいかぎりである。
そういうふうにいろいろ反省しているはずなのに、人間はつい自分の尺度で物事を見てしまう。
特に自分が常識だと思っていることを他人が知らないと、「え〜、そんなことも知らないのぉ〜」とあきれてしまう。
たしかに三省堂の大辞林によると、常識とは、「人々の中で広く承認され、当然持っているはずの知識や判断力」と
解説されている。だが、さすが三省堂大辞林、「人々の中で広く承認され、当然持っているはずの知識や判断力」の
前に、「ある社会で」と添えている。そうなのだ。この「ある社会で」が問題なのである。その「ある社会」がどの社会で
あるかによって、常識の概念が異なってくるのである。子供の常識と大人の常識、女の常識と男の常識、教師の
常識と医者の常識、北海道民の常識と沖縄県民の常識。そして私たちは日夜、日本人の常識とインドネシア人の
常識の間で奮闘している。
今から6年前、私は日本語とインドネシア語の学校を作った。パソコンも揃っていなかったその
時期に、語学学校にはワープロは必需品であった。ただ、日本語ワープロは日本製で100V、当然変圧器が必要に
なってくる。それに接続してこそ使うことができる。だから私はスタッフによぉく言ってきかせた。「これをそのまま
コンセントに差しこんではいけませんよ」と。だが、1年2年とたつうちにスタッフが増えてきた。当然スタッフから
スタッフへとその注意は伝わっていると思っていたがそれは伝わってはおらず、みなさんのご想像通りワープロは
みごとにこわれた。
「え、先生、日本のものは直接コンセントにいれちゃダメなの?」
「そうよ、だって100Vじゃないの」
「??? …100Vって?」
「…え、あ、その、電化製品には電圧というものがあって、インドネシアは220V、日本は100Vでしょ」
「…で?」
「で? で…、合わないわけですよ」
「…だから?」
「だ? …だからですね、こわれるわけです。100キロしか量れない体重計に220キロの人がのったら
こわれちゃうでしょう?
それと同じです」
「ふうううううううううう〜ん」
私はあきれかえり苦笑した。だが考えてみれば、私だってその電圧の常識を知ったのは海外旅行へ行き
始めた二十歳ぐらいだったと思う。旅行先の国で私のドライヤーは使えるかどうか―、それが始まりだった。
それなのに、外国になど行ったこともないスタッフがそれを知らなかったことを笑った私は、傲慢である以外のなにも
のでもない。
そのとき私は反省した。そしてすべての日本製の電化製品のコード先端部分に「Hati-hati! 100V
(要注意! 100Vです)」と赤い太マジックで注意書きをした。だが歴史は繰り返される。ある朝出勤したら、私の
机の上にある日本から持ってきたサンヨーの電話機の様子がおかしい。うんともすんとも言わない。事務部へ
直通の電話は生きてるから、電話局や電話線の問題ではない。スタッフに話したら、その日の朝、電話の調子が
悪かったから、すべての電話機をチェックしたという。悪い予感がした。実は前日の夜、自宅での入り用があった
ため変圧器を持って帰った。私の電話は変圧器がなくては使えない。だからコードをコンセントからはずして、
「Hati-hati! 100V」をよぉーく見えるようにしていったはず。なのに、電話機の様子がおかしい―ということは、
もしかしてあるいは…と、私は「すべての電話機をチェックした」という、担当者の男性を呼んだ。
「日本・インドネシア間のこれこれこういう事情でね、先生はここにこう書いていたんだけど、まさかこの電話の
コードを直接コンセントにいれたりなんかしなかったよね?」。担当者は青くなった。
たぶんやってしまったのであろう。はたしてサンヨーのmade in Japanは壊れてしまっていた。私はふたたび反省した。
「Hati-hati! 100V」だけでは不充分だったのである。「要注意! 100Vです。そのままコンセントに差しこまないように。
かならず変圧器を使ってください」と書かなきゃいけなかったのだと。
電化製品といえば、こんなこともあった。以前ツードア冷蔵庫を買ってきたとき、うちのお手伝いの
ラトミに、「ここは冷凍庫で、ここはパーシャルルーム、野菜室は今までと同じだよ」と説明したが、冷凍庫は
あくまでも氷作りとアイスクリームのためだと思っているらしく、私が肉を入れようとすると、「かたくなって
食べられなくなるからやめろ」、ミックスベジタブルを取り出すと、「ほ〜ら、氷になっちゃったじゃないか」と
いちいちうるさい。わたしゃ、凍らせるために入れてるんですっ、ほっといてちょーだい! といらつくより、長持ち
させるために凍らせるのだと教えればいいのだろうが、そんなことを言った日には玉子も牛乳も入れられてしまう
ので、くわしくは触れないようにしている。これだって、食材を毎日市場で買ってくる人間にとっては必要のない
常識である。
そうそう、ラトミには先日かわいそうなことをしてしまった。ハンドシャワーにひびが入り水漏れする
ようになったところをテープで修理しようと苦心していたので、スーパーで瞬間接着剤を買ってきて渡した。
いまどき、スーパーなどでは普通に売っているから知っているだろうと思いつつも、念のため、「強力なノリだから
気をつけてね」と言っておいたのだが、翌日彼女の指はノリのあとで真っ白になっていた。「指と指が
くっついちゃてぇ」と彼女は笑っていたが、たぶん、普通のノリと同じようにまず指先に取り出してからつけようと
したのであろう。「強力なノリだから気をつけてね」だけでは、これまた不充分だったのである。「強力なノリだから
気をつけてね。肌についたらその瞬間、くっついてとれなくなっちゃうからね」と説明しなければならなかったのである。
「ある社会で」の社会が変わったとき、我々は自分の常識を打ち破ることから始めなければならない。
さて、そんなことを眉間にしわを寄せつつ考えていたある日、私は潤いのある生活を目指して花を
飾ろう! と友人と一緒にフラワーアレンジメントに挑戦することにした。まずは材料を揃えなきゃと、はさみやら
花瓶やらオアシスやらを買うことから始めた。さてそのオアシスである。オアシスというのは密度の濃いスポンジの
ようなもので、これにブスブス花をさしていく、言ってみれば西洋式剣山だ。そのオアシスが結構高かったので、
友人に「どのくらい買っておこうか」と聞いたら、「使いようによるんじゃない?」との答え。そして、私は
たずねてしまったのである。「あのさぁ、オアシスって何回ぐらい使ったら買いかえるの?」と。
友人は目をまん丸くして、私の瞳をじっとのぞきこみ、ちょっと憐れみを含んだまなざしで言った。
「先生、オアシスって使い捨てよ。1回きりで終わりなのよ」。
ま、人間死ぬまで勉強ですね。