日本語教師七転八倒物語
68回
2003年4月

著者:甲斐切清子
海外に住んでいれば、祖国を持っているものとして盆正月の帰省のために必ず使う飛行機。 ここジャカルタに住んでいらっしゃるみなさまも、ふところ具合があったかければ年に数回、あったかくなければ
数年に一回は乗っていらっしゃるはずだ。ごひいきの航空会社はそれぞれの特長で選んでいると思う。 万が一のときの賠償額の高さでJAL、成田からの帰りにバリに寄れるのでガルーダ、スチュワーデスの
おねえさんがきれいなのでシンガポールエア、トランジットは長いけどとにかくやたら安いのでタイ航空などなど…。 ちなみに私はその時期時期で最もお買い得なやつを選んでおります。とーぜんですね。
さて、その飛行機について前回お話ししたが、今回はその続きである。公衆の場でとんでもない
行動に出るのはオバサン系が多いというようなことを、ほとんど墓穴を掘りながら前回書いたが、こんなオバサン
でも恥じらいはある。隣りの席に、かわいい男の子とか、かっこいい男性とか座ってほしくないのである。
そりゃもちろん、人生の中でそのような類いの方々と知り合える機会はたくさんあればあるほどうれしいが、
新幹線で広島―東京4時間55分とか、ガルーダ880便でジャカルタ―成田7時間30分とかの長丁場のときは、
ご遠慮したい。だって、眠りこけるでしょ、絶対。ぐわっーって大きな口あけて、よだれたらして、歯ぎしりなんかして、
いびきなんかもかくかもしれない。そんな状況下で隣りにいいオトコがいるなんて、うわわわ〜ハズカシーやだー。
考えてみりゃ、飛行機のシートの密接さは、通常の生活の中ではきわめて親しい間柄でなければあり得ない。
隣り合わせのシートに座ってブランケット(毛布ではなく、ブランケットね、飛行機だから)をかけて寝ている
見ず知らずの男女2人を、そのまま場面転換して、寿アパート2DKの四畳半和室に置き換えてみてほしい。
あっぶないよね〜。横向いたらそのままキス!って距離だよね〜(何考えてんだ、このオバサン)。
だからまぁ、そうですな、理想としては通路を挟んで隣りとか、ななめ前とか、そのあたりに
かわいいどころを2、3人散らして、男性乗務員にかっこいいどころをひとりでも配置すりゃ、7時間30分
楽しく過ごせるってわけですな、わっはっはっ(これはオバサンではなくて完全にオヤジ)。
と言いながら、ひとつ私は不思議に思っていることがある。日本人は公共の乗り物で隣り合わせに
なった人とあれほどの至近距離であるにもかかわらず、まったく話さないまま長時間を過ごすことができる、
というか、それがけっこう一般的である。7時間30分、肩を並べて終始無言。インドネシア人だったら窒息死して
しまう、と知り合いのインドネシア人が言っていた。たしかに、インドネシア人は長距離バスでも電車でも飛行機でも、
シートに腰を下ろすか下ろさないかのうちに、「Mau ke mana?(どこへ行くんですか)」と訊き、荷物を片付け終わった
あたりで「Tinggal di mana?(お住まいは)」とプライバシーに入りこみ、5分後には「Asal dari mana?(ご出身は)」
で早くも話は長期戦になだれ込む様相を呈する。日本人同士だとけしてこうはいかない。かくいう私もそうだ。
そこで私は考えてみた。日本人はどうして隣り合わせになった人と話をしないんだろう。
日本人の一般論として話すと、わたしゃそーじゃありませんぜって言われそうなので、私を例にとってお話しする
ことにする。まず、「どちらまで?」と隣りの人に話しかけたときに、「なに、この人」と胡散臭そうなまなざしを
向けられるのが怖い。次に勝手なもので、話しかけて向こうものってきてくれたはいいが、やたら感情的だったり、
やたらゴシップ好きだったりと、いわゆるイヤな人だったら困る。いい人だったとしても、こっちが少し休みたいとき
にも次から次へと話し続けてこられるのも疲れる。でも、向こうが静かにしてると、すでに知り合ったのに黙って
いるのも少々気まずいなって感じもしてくる。で、おそるおそる話しかける。その瞬間、あ、もしかして迷惑だった?
もしかして寝ようとしているところだった? などなどいろいろ考えて、それはもうすっかり疲労困憊。
こんなことならいっそ、話しかけないでいた方がよかった―と思うのがオチなので、はなからコミュニケーションを
取らないことにしている臆病者の私。あー、この金縛りのような思い込みって、どうにかならないものなので
しょうかぁ〜。
ところで、みなさんのお気に入りのシートはどこだろうか。私は窓側派だ。なんてったって自分の
テリトリーを固守できる。もちろん眺めを楽しめることも大きな理由だ。その昔、国内ではじめて飛行機に乗ったとき、
通路側の席を与えられた私は、離陸のときに身を乗り出して窓から見える景色に目をやっていた。すると窓側シート
で悠然と日経新聞を広げていたビジネスマンが口元を右上にきゅっと引き締めた笑みを持って、「席、
替わりましょうか」と申し出てくれた。私は即座に口元を左上にきゅっと引き締め、「あ、けっこうです」という非常に
かわいくない態度に出た。つくづく、見栄っ張りであったと反省する。
今では、通常はチェックインのとき、お気に入りの席をチェックインカウンターでリクエストすれば
可能な限り要望に応えてくれることを知っているので、前述のような反省はしなくてすむ。私のようにひたすら孤独に
はまりたい人と景色を楽しみたい人は窓側、トイレが近い人ときれいなスチュワーデスのおねえさんと仲良く
なりたい人は通路側、運良く乗客が少なくすいていれば大の字…にはなれないが縦1の字になって寝ようと
もくろんでいる人は機内中央シートを希望すればいいわけだ。だが、いつも高くて観られないロードショーを、
べらぼうな航空運賃のわずかでも取り戻すのも兼ねて絶対いい席で観てやる、と思っても、さすがにスクリーンに
近い席というのはあまり覚えていないので、これはちょっと具体的にリクエストができない。でもこれもカウンターで
申し出れば、ちゃんと用意してくれるのだろうか。ジャカルタ・チェンカレンのスカルノハッタ空港内ガルーダ
航空カウンターのおねえさんたちじゃ無理だろうなぁ、きっと。
次にシートの扱い方についてちょっとばかり書きたい。先日帰国の折りにガルーダの機内で
こんなことがあった。離陸前、飛行機がさまよう子羊のように滑走路をうろうろしているときに、前に座っている
日本人の若者が、シートの背もたれをすとんと倒し、ひょいと後ろの私に向かって、「倒します?」と訊いてきた。
私は一瞬意味がわからなかった。2秒ほど考えて、あぁ、この人は背もたれを倒したいのだ、でも、日本人的気配り
で自分が倒したら後ろの人は窮屈だろうなと考え、後ろの人も倒すんだったらそんなこと気にしなくていいという
ことに気付き、「あなたは背もたれを倒しますか。あなたも倒すんだったら僕も倒させていただきます」という文を
省略して、「倒します?」と訊いてきたのだ。な〜んだ、そういうことだったのか。もー、そうだったら倒す前に言って
よねー。で、私は答えた。「倒す前におっしゃってくださいな」って。ちがうちがう、そんなことは言わなかった。私が
言ったのはこの一言である。「離陸時は背もたれは倒しちゃいけないんですのよ」。ふっふっふ。してやったり。
あ、もしかして思いっきりヤな奴ですか、私って。
最後に、着陸前もしくは着陸したらすぐにかならずトイレで身だしなみを整えること。あの狭い機内に
おける7時間30分の時の流れは、確実にあなたの容貌を変えているはずですから。