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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
70回


2003年6月



著者:甲斐切清子

  

 私の名前はめずらしがられる。まず、甲斐切。「甲斐」はけっこうあるが、「甲斐切」は少ない。 そして、清子とかいて「すがこ」と読ませるケースもほとんどない。だから、ダブルでめったにお目にかかれない 名前なのである。この名前は、いろいろな受付や窓口などで名前を申請するときに、ちょいと面倒である。
  たとえば、   
「お名前は?」   
「甲斐切です」   
「カイキリ? 漢字をいただけますか」   
「甲斐の国の甲斐です」   
「…?(わからなくて首をかしげる係員)」   
「甲斐バンドの甲斐です」   
「…??(世代違いでまったくわからず再び首をかしげる係員)」   
「生き甲斐の甲斐です」   
「…???(ますますもってわからなく首をかしげつづける係員)」   
  ということがしょっちゅうある。一般社会における認識度および認定度がかなり低いのだ。
  下の名前のほうは、「さんずいに青のキヨコ(清子)と書いて、スガコ(清子)なんです」で、わかってもらえるが、 反対に、名前を読んでもらうときには、名字の「甲斐切」のほうはなんとか正しく読んでもらえても、「清子」の読み方を 、「キヨコ。じゃないの? じゃ、セイコだ。でもない? だとしたら、スミコ? ちがうの? ん〜、あ、スガコねー」と、 最終的に正解まで行きついてくれる人はほとんどいない。   ちなみに「清子」は、清々(すがすが)しい子になるようにと、母がつけてくれたものだ。はたして清々しい子に 育ったかどうかは評価の分かれるところである。   

  私は小学校のころ、自分の名前がほんとうにきらいだった。もちろん先に述べたように、小学校からこっち、 これまで担当してくださった先生方が誰一人として、私の名前を正しく読めなかったということもあるが、なにより 書くのが面倒でイヤだったのだ。なにせ、画数が多すぎる。甲斐切(21画)プラス、清子(14画)で、あわせて35画。 友人に川口元子というのがいるが、彼女の名前をはじめて見たときに、あまりにスッキリしているので画数を 数えてみたら13画だった。私のほぼ3分の1である。うらやましぃぃぃー。もちろん世の中には私よりもっと画数の 多い人もいるのだろうけど、とにかく子どもにとって、毎回の名前書きでこれだけ画数の多い漢字をバランスをとり ながら書いていかなければならないのは、大変な苦行である。それにもうひとつ。同級生に「ガスコ、ガスコ」と、 スガコのひねり形でからかわれるのもつらかった。子ども心に、名前を変えたいと幾度も思ったものだった。   
  ただ、大人になるというのはこういうことなのか、最近ではこの名前が、好き…ってんじゃないなぁ、 いとおしい…ってのも違う。言ってみれば、「この名前で良かった!」と思うのである。名前を変えたいなんてかけらも 思わなくなってきた。それどころか最近では、川口元子の名前を見ると、「こんなに画数が少なくて物足りなくないの かな」と思ったりする。たぶん、めずらしい名前>個性的>目立つ>得>しあわせ、という前向きかつ勝手な判定をする ようになったのだろう。      

  さて、1、2年前、ここジャカルタで芝居を観に行ったときのことである。劇中で主人公の女性がある男性を 思い出しながら、大仰な演技でこう言い放つ場面があった。   
  「サミウン! おお、なんて田舎くさい名前だこと! サミウン、サーミウン!! いやだ、いやだ、田舎の匂い までしてくる!! サ・ミ・ウ・ン!! い・な・か・も・の! それ以外にこの名前の意味するものはないわ」   
  私は三段階にたまげた。まず、大きな劇場の中で、美しい女優からサミウンの名前を聞いたこと。なぜなら、 サミウンはうちの学校車の運転手さんの名前だったからだ。つぎに、その、うちの運転手のサミウンという名前が、 田舎くさい名前だという事実。なぜなら、学校のスタッフは親しみを込めて彼をサムと呼んでいて、サムという名前の 響きにはアメリカの匂いこそすれ、インドネシアの田舎の匂いはしないからだ。そして最後に、インドネシアに、田舎 くさい名前というものがあるということに驚いた。   
  でも考えてみれば、日本にもダサい名前と言われるのはある。いまどきの子どもの名前では、〜子とか〜男とか はそれに入るかもしれない。また、古くさい名前というのもあろう。女性では、ヨネ、フサ、トメ…、男性では、 文左衛門、茂松、三吉、太助。今、こんな名前を子どもにつけたら、それは古くさいというより時代錯誤である。 田舎っぽいといえば、やはり花子に太郎か。田舎には麻里菜ちゃんとか、拓也くんとか、ちょっと合わない感じが する。やっぱりそれらの名前は、夏休みに田舎に遊びにくる東京の親戚の子って感じ。   
  また、同じ「はなこ」でも、花子は苦労してそうだが、華子は苦労を知らなさそうだ。また、太郎が田舎っぽいから といって、郎のつく名前はすべてイモ、ってわけではない。「志郎」や「健一郎」はいいし、「イチロー」なんて、今や 国際認定のヒーロー名である。   
  そこで私は、スタッフに、インドネシアには他にも田舎くさい名前というのがあるのかと尋ねてみた。そしたら 出てくる出てくる、男性の名前ではTukul、Mamat、Parto、Jumeno…、女性では、腰振りダンドゥットで話題沸騰の Inurを筆頭にJumirah、Tuminem、Suminten…などで、JやTのつく名前が多いように見うけられた。ついでに、 都会っぽい名前を聞き出したら、男性では、Fajar、Deni、Aldi、Prab、Agung…、女性では、Dewi、Tasha、Vivi、 Alia、Sisi…などである。これは同時に裕福そうなイメージも併せ持つらしい。   

  それで思ったのだが、もしかしたら、自分がこれまで遭遇した人々の名前は、その名前自体に対して、 ある一定の人格像や印象を作り上げるのではないだろうか。たとえば、私にとって「まりこ」さんは、ゼッタイ お金持ちである。なぜなら、小学校のクラスメートで、病院の一人娘がこの名前だったからだ。「明美」さんは ちょっと苦手である。小学校のとき、その名前で気の合わない子がいて、いまだにその名前を見ると彼女を 思い出す。でも、「朱美」さんは問題ないのだから、やはり漢字は大切だ(いきなり日本語教師)。中学1年のとき、 好きだった男子(きゃはは…、なんかハズカシさのよみがえる響き)の名前が、「伸」くんだったので、結婚して 男の子が生まれたら、名前は「伸」! と決めていたのだが、チャンスはとうとう訪れなかった(何のチャンスだ?)。   

  同じように、インドネシアに来て間もないころ担当した学生の中に、シンタさんというとても勉強のできる女性が いたせいで、私の頭の中には、シンタ=かしこい女性のイメージができあがった。また、彼女と同じクラスにアンディ というお調子者もいた。それゆえ、今や私にとって世界中のアンディすべてがお調子者だ。アンディ・ウィリアムス (年がばれるな。ばれてるか、とっくに)、アンディ・ガルシア、アンディ・ロウ、その他のアンディさんたち、固定観念の 強い私をお許しくださいまし〜。

 
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