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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
71回


2003年9月



著者:甲斐切清子

  

 入院した。信じられなかった。いとも簡単に入院の指令が出た。従うしかなかった。周囲の人間は驚いた。 日本から「鬼の霍乱だ」というメールが届いた。友人にその通りだと言われた。退院まで6日を要した。 壮絶な戦いだった。(以上、NHKの人気番組「プロジェクトX」の口調で読んでください)    

   いやっはっは〜、どーもみなさん、お久しぶりでございます。2ヶ月続けて休筆(ひゃひゃひゃ、エラそうに 言ってみました)なんて、これまでなかったのではないでしょうか。とにかく、4月5月6月の忙しさに体がマイって 入院したあと、7月は学校創立以来、経験したことのない忙しさで、涙をのんで「日本語教師七転八倒物語」を お休みしたのでした。7月号の締め切りであった6月は入院騒ぎでとても原稿なんて書ける状態ではなかったの ですが、7月締め切りの8月号に関しては、自分自身と、ジャパンクラブ広報部の担当、島川さんのやさしい声に 甘えた感がないでもありません。で、反省してこうして今月号はしっかり原稿に向かっております。
   てなわけで、今回は当然、ネタ的には入院話です。だって、熱が出て意識朦朧としているときに、お医者様から 入院と言葉を聞かされて、私ったら、「お、次、入院ネタいけるな」なんて、親が聞いたら生んでやった体を返せと 言われそうなことを考えてしまったくらいですから。でも、実際ジャカルタ滞在11年目にして経験した入院生活は 興味ある事柄が山ほどあって、たしかに私を退屈させなかった。それでは題して「日本語教師七転八倒物語・鬼の 霍乱編」、はじまりはじまり〜

   まず、病室はきれいだった。だが高かった。個室が1泊80万ルピア! じょーだんじゃないと1泊40万ルピア の2人部屋に入る。だがこれが悲劇の始まりだった。私が入った部屋は、窓側のベッドに80歳くらいのインドネシア 人のおばあちゃんが長く入院しているようであった。そのおばあちゃんには付き添いの家族がなんと3人いた。 1日中、24時間、ファミリーマートのように人がワサワサいるのである。当然泊まりである。ということはつまり、 私の入った2人部屋は5人部屋になっているのである。2人部屋の25u(だいたいですよ、だいたい)の部屋に5人。 酸素薄である。だがこの付き添いのオバサンたちは、酸欠などもろともしない、パワフルな人達だったのである。
   私の入院したPI病院の2人部屋はテレビが一台しかなかった。その場合、2人の入院患者が譲り合って テレビを使う…というか、テレビ使用権を持つ。でも、考えてみれば病に倒れた安静が必要な人間に、本当はテレビなど必要ない。自動的に付き添いさんに実質的なテレビ独占力が生まれる。付き添いさんたちは、なにせ元気で、病人の世話といっても3人もいるわけだし、ひたすら暇を持て余してるから、とにかくテレビを見る。しかも音がでかい。だいたいが、どこの家も日がな1日テレビをつけっぱなしというこの国の人達だから、病院にいても同じなのであろう。隣りのベッドに入院したばかりの外国人が寝ていようが、そんなこと知ったこっちゃない。ず〜〜〜っと、つけっぱなしである。驚くべきことに、家からVCDプレーヤーまで持ってきて映画を観ている。それでも、「しかたない、個室じゃないんだから」と納得し、夜を待つことにした。だって、普通、夜になりゃ消すでしょ、テレビ。病院なんだから。でも、9時の時点でテレビはバリバリついたままだった。日本人はこういうときに言えないんだよね、「小さくしてください」とか「消してください」とか。私ってば、まわりを気にするA型だし。嘆息して、じゃあ10時を待とう…と思ったがそれも甘かった。10時になっても一向にテレビを消す気配はない。しかも、しかもっ、…見てないのである。5、60代のオバサン特有の野太く大きなダミ声で、親戚の話なんかしてるのである。つまりテレビはBGMなのだ。


   この状態は、はっきり言ってきつかった。テレビの騒がしい音響に加えて3人のオバサンの井戸端会議である。 私はティッシュペーパーを耳に詰めながら、「ゴホンッ」とか「ゲホゲホ」とか、病人の存在をわかってもらえるように、 思いきりイヤミな咳を何度か試みた。そうしているうちに、オバサンたちの声が聞こえなくなってきた。でもテレビは ダンドゥット番組でワーワーうるさいままである。くっそー、やっぱり注意するしかないっ! と決心、熱っぽい体を起 こし、点滴をごろごろ引きずりながら、カーテンの引かれた向こう側をちらりとのぞくと、…寝ている。3人揃って。 病人のおばあちゃんも含めると4人全員。スースー寝ているのだ。ざけんじゃねー!! と叫ぶわけには、 病院なのでいかないので、ふたたび「エヘンッ」と咳をする。リーダー格のオバサンが、目を覚まし、「あら、どうした?  眠れない?」とやさしく言ってくれる。「はい、眠れません、あなたがたのテレビつけっぱなしのおかげで」とは、 やはり典型的A型日本人ゆえ言えないので、「あのう、テレビ消していただけませんか」と遠慮がちに微笑を浮かべて 言う。オバサンの方ではもともと悪意はないので、「あ、そう」と言って、パチン。やっと消灯である。
   …だが…戦いはまだ終わっていなかったのである。電気も消え、テレビも消え、やっと病室に病院らしい静寂が 戻ったと思ったのもつかの間、ぼそっぼそぼそぼそ…という感じでオバサンたちのつぶやきが始まった。あろうこと か私は、寝た子を、いや、寝たオバサンを起こしてしまったのである。オバサンたちの声は容赦なく上昇していく。 昼間と同じ感覚でしゃべり、笑っている。11時。私はもう限界だった。体も起こさずカーテンごしに「すみません、 休みたいんですけど、声を小さくしていただけませんか」と言った。カーテンの向こうで小さく「おぅっ」という声が 漏れて、そして正真正銘の本日の静寂が訪れたのであった。
   …だが…戦いはまだ続いていたのであった。静寂のなかで眠りについて、明日は朝8時ごろ起床しようと 思っていた。でも突然、ある音に起こされたのである。リモコンをつけた音か番組の音か、今となっては定かで ないが、とにかくそれはテレビの音であった。私は1日8時間睡眠の人間なので、睡眠が足らないとき、体の感じで わかる。「なに! なんだ? こりゃ、眠りについてからまだ8時間はたってないぞ!!」と時計を見たら、 …5時だった。こちらのベッドはドア側なのでわからないが、きっと窓の外はまだ闇夜の世界であろう。 インドネシア人にとってはそりゃ、午前5時はお祈りやらマンディやら市場やら、既にたくさんの人達の動き出す朝と いう時間なのであろうが、ここは病院である。なんで朝5時にテレビの音で起こされねばならぬのか! さすがに 私は、「私、もう少し寝たいのでテレビ消してください!」とやや強い口調で言った。やさしく遠慮がちに注意する なんて、この人達には効かないのだと、働かない寝ボケ頭でもはっきりと判断できた。仕切りカーテンの向こうは 一瞬緊張感が走り、急いでテレビのスイッチを切る様子がうかがえた。
   …だが…戦いはとどまるところを知らなかった。すんなりテレビを切ってくれたことにホッとし、朝8時の 起床を目標に再びウトウトしかけた30分後…、ぼそっぼそぼそぼそ…というオバサンたちの声がまた悪魔の ささやきのように聞こえてきた。そのあとは昨晩と同じである。オバサンたちの声は激しくエネルギッシュに ボリュームを増していき、外はまだ暗黒の静寂に包まれているのに、この4201号室だけが市場の様相を呈して いったのであった。
   そして私は、その3時間後、看護婦さんに頼んで隣りの部屋に移っていった。しかし、気がかりなのは、あの おばあちゃんのことである。あんなうるさい中で、ちゃんと療養できているのだろうか。年寄りで耳が遠いといえば それまでだけど、他人事ながらちょっと心配。それでは鬼の霍乱編、来月号に続きます。

 
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