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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
72回


2003年10月



著者:甲斐切清子

  

 6月のある日、へなへなと倒れてしまった私が運ばれたのは南ジャカルタにあるPI病院。熱っぽい 体に点滴の管をぶら下げ、ネタさがしに奔走する私を、インドネシアの病院の驚愕の事実が襲う! フラフラの体に むち打ち書きとめたネタをもとに今ここに明らかにする、日本語教師七転八倒物語・鬼の霍乱編! 続編です!!

   前号で述べたように、全身にオバサンパワーを浴びた私を助け出してくれたのは、白衣の天使、看護婦さん だった。だが、それもけしてすんなり行なわれたわけではない。思い出してみよう。
   朝方、オバサンパワーによる寝不足で目の下にクマをこさえた私のもとに、熱をはかりに看護婦さんが 来てくれた。チャーンス! とばかりに私はその看護婦さんに、「あのね、あのね」と耳打ちした。「あのね、隣りの おばちゃんたちがうるさくって、私、このままじゃ重病人になってしまうかもしれないから、病室かえて。ね」


   もちろんそっとである。だって、まずいでしょ、やっぱり。隣りのおばちゃんたちに聞こえちゃったら。 なのに、なのにその看護婦さんったら、一緒に病室に入ってお隣りの点滴をチェックしている同僚の看護婦さんに、 はっきりばっさり言っちゃったのだ。「あのさぁ、こっちのベッドの人、部屋、かわりたいんだって」。あわわわわ…と あわてふためく私の様子、みなさんは手に取るように想像されるはずですね。隣組のドロンとした空気が伝わって くる。それでも私は、脱出さえすれば…の気持ちで、その看護婦さんに目配せで、「声、出さないで! でも、 たのむよ!! 即ね。一刻も待てないよ、私は。このままだとあと1時間ぐらいで脳卒中か心不全でいっちゃう からね! いい?」と、中央分離カーテンが引かれていることをいいことに、ボディランゲージならぬアイランゲージ で主張した。だが私は知っていた。この国では、@主張が、A1回で、B正しく理解されて、Cすぐに担当者に 伝わり、D希望する形で、E改善・実施されることが、いかに不可能に近いかということを。だからそののちも、 やってくる看護婦さんたちに片っ端から「部屋かえてコール」を連発した。その結果、2時間後に私は隣りの部屋へと 移されていた。正直言って、インドネシアにしては上出来だと私は思った。
   そこで、その看護婦さんである。日本では、看護婦さんの数が絶対的に足りないと言われて久しい。 確かに、私の日本での入院経験を思い出してみれば、看護婦さんは必要最低限の回数しか病室に訪れなかった。 雑談も限られていた。こう来れば、「お、ならばジャカルタはそうではないのだな」と、みなさんはお考えになるで あろう。大当たりである。ジャカルタの病院は実にたくさん看護婦さんがいるのである。ある朝、うとうとしていたら、 ざっざっざっという足音とともに数名の人間がやってくる気配が私のベッドに近づいてきた。「朝…、大人数…、  さては大先生の回診だなっ」と気を引き締めた私は、それまでだらりと開放していた体を、気をつけーっの姿勢に 戻し、どきどきしながらカーテンが引かれるのを待った。いよいよカーテンに手がかけられ、シャーッと開けられた 向こうには、ざっと見て5人の看護婦さんの顔・顔・顔。そのときの私は、無意識のうちに白髪頭の眼鏡をかけた 大先生を、彼女たちのうしろに探したと思う。だが、大先生はいなかった。
   看護婦さんたちは口々に、「イブ、今日の調子はどう」「ちゃんと薬飲んでる?」「点滴、終わってない?」と 尋ねてくる。私がインドネシア語で答えるたびに、きゃーっとか、わーっとか、うへーっとか喜んでいる。そう、 彼女たちはただのひやかし回診隊だったのである。@日本人が入院している、Aしかもインドネシア語を話して いる、Bおまけにそいつはブーたれて病室をかわった、Cでもかわいそうなことに付き添いがいない…などなどが、 彼女たちの興味を誘ったらしく、とにかく入れかわり立ちかわり看護婦やら准看護婦やら見習い看護婦やらが、 わらわらとやってきてはおしゃべりしていく。そのほかにも、清掃係やら食事係やらのスタッフがまめにやってきて、 独り身の入院生活を淋しがる暇なんぞちっともなかった。


   さて、ジャカルタ−成田7時間フライトの楽しみが究極、食事に行きついてしまうように、暇な入院生活 1週間の楽しみが結局のところ、食事に行きついてしまうのはしごく当たり前のことであろう。しかし、その唯一の 楽しみであるのにもかかわらず、日本で病院食といえば、味気のないワンパターンなメニューがメラミンの食器に のって配膳されてくるというのが定番風景である。だが、ジャカルタのこの病院では、いくつかのメニューから選ぶ ことができるのである。たいてい、夕食が終わったあたりの7時ごろ、担当のお姉さんがやってきて、「さ、明日の 食事ですが、まず朝食はインドネシア食? 洋食?」と訊いてくる。「インドネシア」と答えると、「ナシゴレン?  ラーメン? お粥?」「お粥」、「お飲物は、牛乳? ジュース? お水?」「ジュース」、「ジュースは、オレンジ、 ジャンブー、バナナ、シルサック…?」「オレンジ」、「紅茶は、あったかいの? 冷たいの?」「あったかいの」。 次に「お昼は?インドネシア? 中華? 洋食?」「えーと、洋食」、「夕食は?インドネシア? 中華? 洋食?」 「ん〜、中華!」てな具合である。そして、もののみごとにその通りのメニューが時間になると運ばれてくるのだ。 ここは寝室付きレストランか。しかしはっきり言って、これも珍しくてはしゃいだのは最初の2日間ほどで、あとは めんどくさくなった。長期入院してる人は、「いつものやつ」で終わっちゃうんだろうなぁ、きっと。
   そうこうしているうちに、お見舞いの方々が来てくださるようになってきた。その中にまじってお手伝いの ラトミが神妙な顔をしてやってきた。彼女にしてみれば、こんな大病院は初めてだろうから緊張しているのだろう。 落ちつかない様子で洗濯物やらをまとめていたが、突然、「せんせい、クロックしてやろうか」と言ってきた。 クロックとは、以前この「七転八倒物語」でも書いたが、背中にタイガーバーム等メンソール系のクリームを塗って、 それを広げるように滑らせながらコインの脇でゴーリゴーリとマッサージするものだ。風邪を引いたときとか、 熱っぽいとき、体調のすぐれないときにインドネシアの人たちがよくやっている民間療法で、私もこれまで何度か ラトミにやってもらった。だが、看護婦さんがすぐに聞きつけて、「だめだめ、クロックなんかやっちゃぁ」とラトミに 言っていた。当然、自信家のラトミは気を悪くし、憮然とした表情で、「クロックすれば、すぐ治るのに。これだから 大きな病院は…」とつぶやいていた。
   約1週間のジャカルタでの入院生活。実は、最も戸惑ったのが、自分の身に浸透したチップの習慣で ある。運搬ベッドで私を病室まで運んでくれた受付のお兄さん、私の荷物を片付けてくれた事務局のお姉さん、 そんな行為に出会うたび、つい、財布に手が伸びそうになる。看護婦さんに体を拭いてもらうたび、「これって、 チップ、あげたほうがいいのかな」。退院するときも、思わずベッドの脇に1万ルピアを置きそうになってしまった。
   このように、ジャカルタ滞在11年目にして経験した入院生活は、驚いたことも多かったが、同時に インドネシアに染まってきている自分を垣間見ることもできた。退院した日、車窓から見るジャカルタの風景は、 病み上がりの目の疲れのせいか、退院のうれしさのせいか、強烈にまぶしかった。

 
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