日本語教師七転八倒物語
75回
2004年2月

著者:甲斐切清子
「おまかせください! ドンッ(胸を叩く音)!! 1月号はどんなことがあってもゼッタイ日本から 送ります。だってなにごともはじめが肝心って言いますでしょう」。
そう大きく宣言したのは昨年の師走を目の前にした11月の終わりのことだった。それを受けた
ジャパンクラブ広報部・島川さんは、いつものやさしい声で、「でも、甲斐切先生。無理はしないでくださいね」と
言ってくださった。そのとき私が、「いえいえ、私はいつだって無理なんかしない怠け人間なんです」と言ったか、
「いえいえ、無理ぐらいしなきゃナマる一方なんです、この身体は」と言ったか今では定かでないが、とにもかくにも
そのとき私は1月号原稿提出を声高々に、自分(と島川さん)に誓ったのである。だが今年のブリタジャカルタ1月号
に、「日本語教師七転八倒物語・新春お年玉企画・ページ拡大特別編」は存在しなかった。なぜなら、1月号の
締切にあたる12月の中旬ごろ、私は宿題に追われていたからである。
宿題? とみなさんは不思議に思うだろう。なんで教師が宿題に追われるの? 宿題に追われるのは
学生じゃないの?? そう、そのとおりである。私なんて、宿題に追われた学生時代を自虐的に思い出すことを
楽しみに教師になったようなものである。だから私は、教師でいる間は宿題を出す立場でこそあれ、出される
立場でもなければそれに追われる立場でもないことはいたって明白な事実である。では何故に私は去年の12月、
宿題に追われていたかというと、そのころ私はなんと25年ぶりに学生になっていたのである。
昨年の11月下旬から1ヶ月間、私はある機関の在外邦人日本語教師研修というプログラムに参加して
いた。あ、ちょっと首をかしげたよい子のみなさん。そんなよい子のみなさんに、先生がやさしい日本語で説明しま
しょうね。ざいがいほうじん、というのは外国に住んでいる日本人のことですね。で、日本語教師研修というのは
日本語を教える先生たちのお勉強会ということです。ですから、この「ざいがいほうじんにほんごきょうしけんしゅう」と
いうのは、外国で外国人に日本語を教えている日本人の先生たちのお勉強会ってことなんです。そこで先生も
生徒になっていたんですー。わかったかなぁ〜? 今日はこのお話をみなさんにご報告しましょう。
まず、在外邦人ということで、世界中から参加者が集まってきていて、その内訳は27カ国36名。
アフリカを除く五大陸からやってきたメンバーは、アメリカ、カナダ、オセアニア、ヨーロッパはもちろん、アジア各国、
また、バングラデシュ、イランなどに混じって、ウズベキスタンという、一瞬、それどこよ? って国からの方も
いらした。
そして年齢。実はこのお話をいただいたとき、「この歳でお勉強の機会をいただけるなんてなんと
ありがたいこと。でも、若い子の中で私なんか浮いちゃうんだろうなぁ。やだな〜」と思っていた。だが、ふたを開けて
みたら平均年齢44歳。うれしいではないか。五十代のかたが六人もいて、四十代は十数人も。大手を振って
研修所を歩けるというわけだ。そして36人中、男性はたった6人。それでも研修所の方は「今年は男性が多い
ですね」とおっしゃっていた。日本語教師という職業が、いかに女性中心の世界かということがはっきり実感できた。
さて研修は、毎日9時30分に授業が始まり、午後3時30分まで。授業は、最先端のパソコンを使った
教材作りや、コミュニケーションを重視した日本語教育の考え方、また、新たに開発された教授法など、日々
充実感を持って取り組めた。私はこの研修を受けてから、大学などで学ぶ熟年層が近年増えてきているという
現象に合点がいった。なぜなら私も、将来なにがしかの学校へ行って、改めて学びたいと思い始めたからである。
研修の期間、食事は朝・昼・夜の三食を研修所の食堂でとった。これも毎日メニューがたくさんあって、
楽しみだった。あっちではなかなか手に入らないのよと言っては毎日納豆をこねくり回している人もいれば、あれも
これもと毎食メインディッシュを3皿も注文する人もいたし、ほうれんそうのおひたしの色や黒豆の艶、だし巻き
玉子の断層などに毎回感心している人もいた。最後のお別れパーティーでお寿司コーナーが出たときなど、みんな、
(今回秋葉原や新宿で買った)デジカメでバチバチ写していた。これは本当に日本人か? という奇妙なワンシーン
だった。日本語教師の名誉のために解説すると、撮ったその写真は日本語学習者たちに見せるため、もしくは
教材作りのためである。
研修中、なにより楽しかったのは、研修のメンバーたちとのおしゃべりだった。10年ぶりの日本です、
とか、20年ぶりの日本の正月です、とかいう人がごろごろいるのである。毎年、盆と正月には日本へ帰っている
私はなんともアマちゃんのようで、「年2回帰国しています」と言うのがちょっと恥ずかしかった。多くの人が、
はなまるうどんもブックオフも知らず、100円ショップさえも、なにそれ、と言う人がいる。カラオケを歌っていても、
ほとんどの人が百恵どまり。聖子を歌える人は、すっごーい! と賞賛を浴びながらも、誰もハミングしてくれない
(聖子の名前は知っていても歌は知らないから)ので悲しい思いをする。ビリーバンバン「白いブランコ」にも、
「いい曲だね、誰の歌?」と尋ねる人がいて驚いたが、「サンフランシスコのチャイナタウン」は知っているとその人は
主張していた。たぶんこの人たちにとってのNHK紅白歌合戦は、まったく見たことも聞いたこともない人ばかりが
出てくるという点では、NHKのど自慢と変わりないのだろう(私もややそうなりつつあるが)。
だが今回の研修で私がもっとも強く感じたことは、「ジャカルタ・楽園、インドネシア・天国」ということだ。
多くの国の人が、ここインドネシアのジャカルタに住む私に比べて、はるかに苦労しているのである。例をあげて
みよう。
@ アメリカ…仕事が速やかに進まない。暖房が壊れて修理を頼んだが、「明日行く」と言ったのに連絡
なしで来ないからまた電話…の繰り返し。震えながら寝袋にくるまって寝る日々を一週間過ごしたころにやっと来た。
A イギリス…イギリス紳士の運転する車に両足を轢かれた! でも、その紳士は一言も言葉をかけてこず、
名刺を差し出しただけ。のちに弁護士から電話がかかってきたが、たぶん慰謝料も賠償金も何もなしで轢かれ損。
B スイス…日本の食料品が手に入らない。しかも日本食レストランが高い! 今回も日本食品を大量に買って
持ち帰り。
C バングラデシュ…職場の上司が日本人を相手にしない。バカにしている感じ。
D インド…暑い…というより、熱い。摂氏50度との戦い。家にも職場にもクーラーがないので暑い時期は
毎日がサバイバル。
どうですか。いつもジャカルタに文句ばかり言っているあなた(私か?)! このほんの一例を読んだ
だけでも、あれ、もしかして私たちってラッキー? って思いませんか。@の例はインドネシアでもありがちですが、
大先進国アメリカも同じことやってんだと思うと不思議に許せちゃいます。Aはインドネシアでは許されない
行為です。強いものが弱いものに施す。インドネシアのお金持ちのバパだったら札束を渡してくれるはずです。
Bに関して私たちはなにも文句の言いようがありません。ジャカルタにある日本食品スーパーマーケットのみなさん、
本当にありがとう。Cはどうでしょう。思うように働いてくれない人は多くても、日本人を相手にしないとかバカにして
いるインドネシア人は多くはないですよね。そしてD。あえて論ずる必要はありません。
こんなインドネシアにいる幸福をしみじみ感じながら、(一ヶ月遅れましたが)今年も一年がんばるぞー!!