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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
78回


2004年8月



著者:甲斐切清子

  

 うわー、久しぶりに故郷に帰ったような気分である。「あぁ、このコーナー、とんとご無沙汰だと 思ったら、書いてる本人が3ヶ月故郷に帰っていたのか」…と、ひとり合点しているあなた! 違いますよぉ。 3ヶ月ぶりにこの原稿を書くのがとても新鮮で懐かしく、まるで故郷に帰ったような気分だ…と言ってるんですよぉ。
   今年は3月から7月にかけて、私の周りはせわしなかった。もちろんインドネシア全体も選挙騒動で落ち 着かなかったことは確かだ。また、7月に入って曽我さんご一家がジャカルタで再会されることが決まってからは、 在ジャカルタの多くの日本人のみなさんが浮き足立った日々を送られたと思う。なんてったって、我らがジャカルタが 毎日のようにテレビに現れるわけですから、そりゃうれしい。聞けば毎日のようにニュースのバックはジャカルタの 風景というではないか。お気に入りのホテル、昼の定番レストラン、毎日通うスーパーマーケットがテレビに映れば 誰だって興奮する。スディルマンなんか、いつもは「また渋滞なのー! サイテーね、この道は」なんて悪態ついてい るのに、今、日本中の人々がこの映像に釘付けになっているのかと思うと、愛しいやら誇らしいやら。
   これからはもう誰にも、ジャカルタは草ぼうぼうのジャングルでターザンがそこらじゅうにいる−なんてゼッタイ言わせない。せめて、バリしか知らない日本人の方々に、バリはインドネシアの一部で、ジャカルタはそのインドネシアの首都である…ぐらいは認識してもらいたい。なにせ日本人の中には、バリはバリという国で、デンパサールはその首都と考えている人が結構いるという話だから。ま、クタを首都と間違っていないだけ救われるが。

   さて、先に述べたせわしなさの原因となった一大仕事について、今日はお話させていただこう。
   それは名付けて「2004年3月&4月怒涛のテキスト作り」である。まがりなりにも語学学校として ジャカルタで看板を揚げて早や8年。そろそろオリジナルのテキストを持つべき時期に来ているのではないかという 思いにかられ始めたのは、実は昨年の初めであるが、決断力のない私ゆえ、実行に移るまで一年かかったわけで ある。
   今回のテキスト作りは、ここインドネシアに住む方に焦点を合わせた。なぜなら日本で学習する本は、 どうしても使用人さんたちとの場面トピックが少ないからである。ある日本人駐在員の夫婦を主人公にして、その 秘書、運転手さん、お手伝いさんなどを絡めてのストーリー展開、しかも写真をふんだんに使ってリアリティを出す ことに努めた。その写真はというと、友人知人でキャスティングして、撮影スケジュールを立て、撮影キャラバンを 組んだ。奥さんがスーパーで買い物するシーンはHEROスーパーマーケットへ、夫婦で市内観光するシーンは モナスへ、友人に見送られて帰国するシーンは空港へ。でもスカルノハッタは遠いし、高速代がかかるので、 学校から15分ほどのハリム空港で撮影。けっこういい写真が撮れて、テキストに彩りを添えてくれた。 ありゃー、なーんだか宣伝みたいになっちゃいましたね。編集部に怒られちゃうかなー。でも、なにも魂胆は ないですからね。ほんとにー。

   オリジナルテキストが完成すると同時に、インドネシア語技能検定試験の受験対策講座を開講する ことになり、即座に教材の作成開始。テキスト作りで二ヶ月近く過ごした直後だけに、もうインドネシア語なんて 見たくもない状態だったが、それでも来る日も来る日もパソコンに向かう。気がついたら、右手の付け根左部分に タコが。いやいや、タコがにょこにょこ這ってきたってんではなく、ペンダコならぬマウスダコが確認されたのである。 見たことがなかったので、ほー、こんなところにもできるのか〜と、ひとしきり感動。
   そういえば、タコといえばこんな思い出がある。むかし、「君は小説かなにか書いてる人だね」と言われ、 「え、どうしてわかるの」と頬を染めながら尋ねたら、「中指にペンダコができてるじゃないか。僕も同じだよ。 絵描きだから」とカッコよく語ってくれたメキシコ人がいた。そのときの私は、「あー、タコってなんてカッコいいの。 それだけで知的なイメージにつながるのね」と、すっかり有頂天。実のところ書いていたのは、みなさんが今、目の 前にしていらっしゃるつぶやき系文章と落書き風イラストであって、けして小説ではなかった。ちなみに物を書くのに パソコンを多用するようになった今、自慢のペンダコは失われつつある。

   さて、テキスト作りに追われているうちに、ふと気づくと総選挙の投票日が迫っていた。4月5日。 なんと月曜日。どうして月曜日なのか、この国のすることはよくわからないが、仕事への影響は目に見えている。 いったいぜんたい当日はどうなるんだろう…と思っていたら、案の定学生から、「JCCは5日、休みですか」と問合せ がきた。急いで情報確認を始めたが、しかし、誰に訊いてもはっきりしない。
   たとえば、私にとって最も確実な情報源であるJCC事務局長。彼女はアメリカで教育を受け、日本留学 経験のある日本語ぺらぺらのシンガポーリアンと結婚してここでビジネスをしている華人だが、ご主人の会社の 関係者や取引先に訊いても、どうもみんなよく知らないと言う。
   副校長のデシは、インドネシア銀行に勤めるお兄さんから休みだと聞いたと主張する。ほかのスタッフに 訊くと、まだ新聞で正式発表されていないから、どうなんだろうと首をかしげる。しまいには、「先生、日本人はインド ネシア人より正確な情報をよく知ってるから、じゃかるた新聞かNNA(ニュースネットアジア)に訊いてみてよ」と 言い出す始末。君らね〜、自分の国のことでしょ〜〜!!! と言いながらも、この国の情報の不確かさ、情報網の不完全さを考えると一概に彼らを責めるわけにもいかない。結局ぎりぎりになって、ほとんどの企業や学校が休みになると聞き、うちの学校もやっと休校のお知らせを掲示板に出せた次第である。

   そんなある日、私は学校の帰りにGERAELスーパーマーケットに寄った。さしたる目的もなく調味料 コーナーの近くを歩いていた私の目に、「Ina Suki」というラベルが飛び込んできた。すぐに、「Tai Suki」とか「Coca Suki」とか、商品名やら店名やらが浮かんで来た。とにかくその名前は、鍋料理を空想させたのである。手に取って みると、ビンに貼りつけられている写真はタイしゃぶ、シンガポールスチームボートの感じ。鍋料理のタレだと確信 して1瓶買って帰ったら、これがおいしいのなんのって。よし、買い占めよう! と思ったのだが、前ページで 述べたように私は決断力がないので、ふたたびGERAELスーパーマーケットへ向かったのはその1週間後だった。 ところが、「Ina Suki」はもののみごとに姿を消していた。スーパーの従業員に訊くと、「もう入荷しない」という。 手に入らないと思うとむしょうに欲しくなるのが人の常。翌日、学校のスタッフにその瓶を渡し追跡調査を頼んだ。 ただ、私の頭の中に、「たぶん見つからないだろうな」という、諦めの気持ちがあったことは否定できない。 この国の情報網に対してけして期待することのない自分がいるのだ。はたしてスタッフからは、「先生、販売元に 訊いたら、もうどこにも出してないって。製造元に電話したら、もう作ってないって」。それをうんうんと聞きながら、 頭の中は、「ホンマなの? ゼッタイなの?」…と、?マークが飛び交っている。そう、調査を頼んでおきながら、 彼女たちの調査能力を根本から信じきれていない自分がいるのである。予感は当たり、「Ina Suki」はその翌週、 GERAELスーパーマーケットの調味料棚に1ダースほどきれいに並んでいた。「もう作ってない」って、どこの誰が 言ったって? キッコーマンだったらこんなことないだろうなー、やっぱりインドネシアだよなーと思いつつ、 「Ina Suki」5本をカートに放りこんだ私であった。
   来月は、「怒涛の2004年シリーズ・5月&6月編」をお送りします。(…いつシリーズができたのだ?)

 
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