Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
81回


2004年12月



著者:甲斐切清子

  

 明日には長らく苦楽をともにしたダイハツ・エスパスに別れを告げ、夢の大衆ワゴン、キジャンが JCCにやってくるという日の夜、私はすんなり帰宅するのも名残惜しく、夕飯に近くのベトナムラーメンのお店に 寄った。このラーメン屋さんができたのは4年ぐらい前かな…と思い出しながらテーブルにつき、店の総ガラス張りの 向こうに見えるエスパスを眺め見る。学校から歩いても5分とかからない距離なのに、よくエスパスで来たよな…、 サムちゃんは用心深く必ずエスパスの近くに座ってて…、ああそれにしてもこうして見ると確かにくたびれている。 自慢のメタルブルーもすすけて、まるで二度塗りするところを1回だけの下塗りで走っているような色の軽薄さ。 本当にもう限界だったんだね、エスパスよ。しみじみ見つめているうちに、6年間の思い出が走馬灯のように 蘇ってきた。

  JCC1の創立時にはまだ学校車などなくて、私はバスで通っていた。JCCで学校車を買おうと 決心させてくれたのは2人の友人だった。一人はいつもはあまり忠告などしない人なのに、車に関してだけは、 「そろそろ学校車を買ったほうがいいよ」と言ってくれた。もう一人の友人は、実はサムちゃんの元雇用主である。 その友人が日本に帰国が決まったときに、「サムちゃんをどうしよう」と悩んでいて、私もいい運転手さんだから どうにかしてあげたい…と思い、それならいっそのこと決めあぐねていた車生活、今だったら運転手さん捜しに 頭を悩ませなくてすむではないか! という思いに至り、JCCに来てもらうことにした。

  以前から、もし車を買うんだったらエスパスと決めていた。あのこんもりとしたおもちゃのような スタイルがとても愛らしくて、おまけに10人近く乗れ、価格が手ごろときている。中古車としてうちにやってきた エスパスだったが、カンパニーレッスンにチカランだのカラワチだのボゴールだのと、よく走ってくれた。日本からの お客さんも多く、空港への往復もしょっちゅうだった。そしてお客様がいらっしゃるごとにプンチャクだのバンドゥン だの、長距離を走らせたよね…。それでもいやな顔ひとつせず文句も言わず(あたりまえか、車なんだから)、 黙々と走ってくれた。でも、明日には君は再びよそにもらわれていく。元気で、またいい仕事をするんだよ、じゃあ、 最後の走りを見せとくれ…。
  そんなことをつぶやきつつ、私はベトナム麺フォーを喰らい、愛しきエスパスに乗った。最後の ドライブである。いつものポジション、中部座席の右側。クッション具合ももうそれほど心地よくなくなっていたが、 最後のお勤めにさぞエスパスも緊張しているだろうと思うといじらしい。サムちゃんがエンジンをかける。 ぶるるるっと武者震いのような機械音がした。無意識に私は後部を見た。最後のエスパスの仕事ぶりをこの目に 留めたかったのかもしれない。その瞬間である。エスパスが、発進したかと思ったとたん、ずずずっと滑ったので ある。ちょうど後ろに電柱が立っているのが目に入った。「サムちゃ・・・」と言いかけたような、のみ込んだような、 とにかくとっさに言葉が出なかった。ずずずっ、どん! そう、エスパスはみごとに溝に足をすくわれるようなかたちで 歩道に飛び出し、そこにあった電柱にもろに車体後部をぶつけてしまったのである。
  ぴぴぴぴぴ…。そんな音がしたような気がした。日本語学習者に教える擬音語・擬態語の中に、 ぴのつくものはたくさんある。ぴぃぴぃはひよこの鳴き声、ぴぴっはひらめき音、ぴっぴは笛の音。ぴぴぴは、 ひびの入っていく様子を表す。実際、エスパスの後部ガラスはみごとに、電柱にぶつかった真ん中から、 ぴぴぴぴぴ…とひびがいったのである。車のガラスは、割れて飛び散った破片で怪我をしないように、 こなごなにならない作りになっているとは聞いていたが、こんなふうに割れるのかと、その間約5秒ぐらい、 すっかり見とれてしまった。それはもう、桜が満開になるプロセスを超ハイスピード映像で見るようだった。 あざやかですばらしい広がりぶりに、私は感動さえした。
  感動している私の後ろで(車の前部ではあるが)、サムちゃんの「Aduh!」という叫びとも唸りともいえる声が した。ばたばたと外に飛び出してしばらく車体をチェックしたサムちゃんは、ひどくショックを受けた顔で戻ってきて、 「先生、すみません」を繰り返した。どうやらガラスだけでなく、ボディもかなりへこんでしまったようだ。インドネシア 人がこんなに本気で何度も「Maaf」を告げるのを、私は初めて聞いた。それにも感動しそうだったが、現実的思考が そうはさせてはくれなかった。このエスパスは、明日嫁入りすることになっているのだ。「キズモノ」になってしまった エスパスの修理費および査定を考え、その最悪のタイミングに頭を抱えそうになった。だが、人間、気分的にハイに なっているときは自然にポジティブシンキングができるようになっているらしい。私はすぐに、こう思いついたので ある。
@ もし、今日新しい車に乗っていてこうなっていたら、めちゃくちゃ悲しかったはず。
A 人を轢いたりしたのではないし、私とサムちゃんも怪我をしたわけではない。
B 勤続6年のサムちゃん、初めての事故がこれだけなんて、上出来。

  この3つを思い浮かべたとたん、私はとても気分的に楽になった。落ち込んで寡黙になっている サムちゃんに、私は言った。「サムちゃん、明日よそにやられるエスパスが、ちょっとすねてみたんだよ」。 サムちゃんの反応は、ほんとにわずかな苦い笑いだけだった。たぶんサムちゃんは、売値が下がってしまうことに 大いに責任を感じ、ひたすら憂鬱だったのだろう。

  エスパスはそのあと信じられないことに、ガラスはひび割れ、ボディはへこんだその姿で、一週間、 大都市ジャカルタを走った。新たな下取り価格が出るまで、キジャンが届けられなかったのである。日本人社会の 要、ジャパンクラブのあるスカイラインビル、曽我さん御一家が投宿中のインターコンチネンタルホテル、そのほか カンパニーレッスン先の各企業の入っているオフィスビル…。そんな重症の体で最後まで走り抜いてくれたエスパス を、私はちっとも恥ずかしいと思わなかったし、たぶん一生忘れないだろう。

  そしてやってきたキジャン。やはり立派だ。きれいである。その装備ひとつひとつにみんなが感心 する。エスパスは1年ぐらい前からドアロックが壊れていて、内側からしか開かなかった。それがキジャンでは オートドアロックである。サムちゃんが手もとのボタンを押すとカチャ! と元気よく全部のドアロックが解除される。 窓も、前は手動だったが、レバーがかたくてあまり開け閉めしなかった。それが今回はパワーウィンドー。スイッチ ひとつでビーと開いてビーと閉まる。夢のようである。飲み物のためのスペースもあるし、フロントガラスの サンバイザーを返せば鏡もついている。車が届いて1週間も経った頃にサムちゃんは、車内にある自動スイッチで ドアミラーの角度を変えられることを知って狂喜した。クーラーの効きも寒いぐらいに完璧だ。なんて機能的、 なんて快適、なんてゴージャス! いちばん喜んだであろうサムちゃんは、今では毎日のように洗車に余念がない。

  そしてあろうことかそれ以来、誰かが「わー、先生、車を買い換えたんだね〜」と言うたびに、 サムちゃんはニマーッと笑って「あとはポンドックインダーに引っ越すだけだね、先生」と言うのである。こやつ〜、 壮大な計画は車だけではなかったのか! それにサムちゃんよ、君はやっぱり私がせせこましいTebet地区に 住んでいるのを不満に思っていたんだね…。ご主人様がTebet地区の、猫の額ほどの家にしか住めないことを 恥じていたんだね…。くっそぉぉぉぉーーー! あたしゃ、ジャカルタ一(いち)の大金持ちになってもTebetを離れん よー! 君ら(いつ、君らになった?)の思惑通りにはいかんからねー! 踊らされんからねー! 
 …という私の気持ちを知ってか知らずか、新しいキジャンが来てから一ヶ月もたたないうちに、10月発売 新型キジャンのパンフレットが、車のシートの上にさりげなく置かれていた。踊らされんって言ったでしょー!  

―つづく

 
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