Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
87回


2005年 6月



著者:甲斐切清子

  

スイスから友人一家がやってきた。高校時代のクラブ仲間であった友人Mは卒業後、臨床検査技師の職につき、国際資格を取ってスイスで職を得、伴侶と出会い、三人の子どもに恵まれ、今はユングフラウヨッホの麓にあるトゥーンという町で、100年もたった由緒ある青年様式の屋敷を手に入れB&B(朝食つきゲストハウス)を営んでいる。

そのMと交流が復活したのは2年前。その日、私は学校に出てきていつものように朝一番のメールチェックをしていた。その中に、「失礼ですが、こちらの甲斐切さんというかたは、広高校のみっしぇるさんでしょうか。人違いでしたらこのメールは破棄してください」という、とても丁寧なメールがあった。ご指摘のとおり私は広島県呉市にある広高校出身である。そして、当時大人気だったフレンチポップスのスター、ミッシェル・ポルナレフのファンだったので、ニックネームは‘みっしぇる’だった。そんな私の過去を知るこの差出人は誰なのだ! と文末を見ると、「M」とある。「えええええ! Mぅぅぅぅ〜!!!」

その後のすさまじいメール交信はご想像におまかせするとして、その1年後の2004年、すなわち昨年の5月、私はスイスのM宅を訪ねていた。30年ぶりの再会であった。

そしてその1年後の今年4月、M一家が家族5人でジャカルタに来てくれることになった。だが、一家は暑い時期なんて一年に1ヶ月あるかないかの内陸の国から、一年中夏という、海と島だらけの国に来るのだ。コカコーラが300円の国から30円の国に来るのだ。どんな驚きと喜びが一家を襲うことやら…。

私は高鳴る興奮を胸に、物理学者であるスイス人のご主人と、英語・日本語・ドイツ語・フランス語を操る15、13、11歳の子供たち、そして日本を離れて20年というMを迎えにスカルノハッタ空港に向かった。4月半ばのことであった。

 

「あついぃぃぃ〜」

一家の第一声はこれであった。どうやらその暑さは、ただの暑さではなく、湿気によるものらしい。スイスは基本的に一年を通じて空気が乾いているので、夏の暑い時期でもこんなじっとりとした暑さではないらしい。しかもジャカルタに向かって旅立った日の前日には雪が降ったというのだ。そんな国からたった15時間ほどで、この熱帯の国にたどり着いたことに、まず一家の体が正直に反応したようである。

空港から小一時間、私のうちに着いた。一行はインドネシアの家の建て方にまず仰天。どうして両隣、もしくは前後にある家の壁面同士をくっつけて建ててしまうのかと。そういえばブリタジャカルタ4月号で、インドネシア人は飲み物でも食べ物でも9割がたまで中身を詰め込むと書いたが、これは家の建築にも言えるのかもしれない。日本人のように、お茶はふちから1センチ下までとか、切手はふちから縦横平均的に5ミリぐらいは離すとか、そんなことはせず、土地ぎりぎりに家を建てる。「常夏→窓があると暑い→窓はいらない→壁でいい→土地の有効利用→壁面ぴったり建築」という方式であろうか。建物全体がくっついてトータル的な街づくりがされていれば、ヨーロッパの街道のように美しくもあろうが、ここはきれいに隣接していない。それに隣や後ろが空き地のまま外壁がばっさり露出した状態、しかも塗料が施されていないものも多い。だから景色としてはとても美しくないのである。

さてジャカルタでは、ひと通りの観光地を回ったが、一家がなにより狂喜したのは食事と買い物だ。どんな高価なレストランで6人が食事しても、スイスでのひとり分の値段。特におすし専門店でいただける千円もしないランチは、スイスの日本食レストランは勘定が怖くてめったに入らないというMは、日本に4、5年に1度しか帰らないこともあって、大感激。バリでは一人前1万ルピアという信じられない値段のお寿司を三人前たいらげるという快挙を遂げた。

そのほか喜んだ食事としては、6人で90個ぺろりとたいらげたコタ地区の餃子屋、山盛りの焼肉とビールに舌鼓の韓国焼肉店、そしてジャカルタ最後の夜に行ったブロックMの居酒屋では、メニューにある品を片っ端から食べまくり、あげくのはてに厨房見学までするというほどのはしゃぎようであった。

買い物は、ブロックMのマタハリデパートで子供3人は、自分用とお土産用にそれぞれ10枚以上のTシャツを買い込んだ。「だってね、みっしぇる。スイスってものが少ないの。トゥーンなんてデパートなんか2つくらいしかないし、品数は限られているし、おまけに高いんだから」とは、子供たちの弁。確かにそれは私もかの地へ行ったときに感じた。おまけに店が早く閉まる。5時過ぎると商店街も閑散としてくるトゥーンの町から比べると、夜9時10時まで開いているジャカルタの町は一家にとってまさしく買い物天国であっただろう。

マンガドゥアでは子供たちが安い時計を買って、父親に、「まったく君たちは! 時計王国スイスの人間なのに…」とあきれられていた。だが、その父親もジャカルタのあとに行ったバリで、ラフティングに興じているときに時計を川に落としてしまい、しかたなくクタビーチの物売りから時計を買っていた。

そしてMが「ぜったい行きたい」と主張していた日本食品専門スーパーマーケットでは、入ったとたんにみながそれぞれ欲しいもののところに突進し、カートはみるみる日本食品の山。子供たちの好きなものは、日本のインスタントラーメン、お茶漬けの素、流行のお菓子などなど。それら子供の買いたいものは、Mが「こんなに買えません!」とチェック。そしてMが買いたいものは、ご主人が「こんなもの買ったら、帰りの荷物になっちゃうよ」とチェック。ちなみにMが最後まで名残惜しそうにしていたのはみりんであった。「高いのよ、スイスでは」。今度いつかまたスイスに行くことがあったら、かならずみりんをお土産に持っていこう。

ジャカルタでの日々が終わった。

   スーパーで買い物をして表に出ると運転手さんが待っている。「運転手さん、ずっと待ってるの?」。

   車で走っているときに物乞いの子供に出くわす。「子供は学校に行かなくてもいいの?」

   炎天下の市場で魚を売っている。「冷蔵庫もないところに魚を長時間置いて、腐らないの?」

   電車の屋根に人が乗っている。「屋根に乗っていいの? 危なくないの? 落ちて死ぬ人いないの?」

   毎日のように一家から出される質問は、実は私自身がむかし抱いていた疑問である。だが、ジャカルタに住んで13年、私の疑問はすでに疑問でなくなり、ごくあたりまえの風景や事柄になった。それは、スイスに住んで20年のM自身も同じであろう。「スイスでは5時に店が閉まって、勤め人はいつ買い物するの?」「3階建ての屋敷と2500平方メ−トルもの庭を、お手伝いさんなしでどうやって掃除するの?」「ほかの国が隣接していて落ち着かなくないの?」。そんな私の質問はMにとって疑問でもなんでもないはずだ。

日本に生まれながら、縁あって外国に暮らしている私とM。しかもかなり対照的な国だ。その対照的な国から来てくれたM一家のおかげで、久しぶりにインドネシアを新鮮な目で見ることができた2週間であった。


―つづく

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