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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
89回


2005年 8月



著者:甲斐切清子

  

一説では離婚の危機は3年目と7年目にやって来ると言う。そういえばラトミは うちに勤めて7年目。 ぴったりではないか。仕事ぶりが雑になったことに加えて、主人への口のきき方が著しく低下、あげくに先生の家の 仕事はもう飽きたという失礼千万な一言に、私の積もり積もった怒りが爆発。遂にやってきた、お手伝いのラトミと 私の決別のとき。その最後のシーンにあるのは殴り合いか、沈黙か、はたまた涙か、そして注目の退職金は…。 お待たせ致しました、「さよならラトミ」完結編です!(…いつのまにタイトルが…?)

  その日は日曜日だった。数日前から私は彼女に、1週間後には大切な友人家族が遠路はるばる やってくるので、週末のうちに台所を整理整頓大掃除するようにと司令を出していた。それなのに彼女は昼前に、 ちょっと出かけてくると言って出かけてしまった。1時、2時、3時、帰る気配のかけらもない。しかたがないので私は 自分で整理整頓大掃除を始めた。すると棚の奥やら下やらから、いろんなごみや汚れがわんさと出てくる。 ボロボロになったビニール袋、湿気で再生不能になった空き箱、コンロの下に落ちたままドライフードになりはてた 野菜や肉片の数々。次から次へと出てくるごみは最終的にダンボール2箱になった。それより私を仰天させたのは、 台所用品の凄惨な実態であった。お皿は埃まみれ、お鍋は油まみれ。それをしまっている食器入れはゴキちゃんの 糞まみれ。こんなコンディションで作られた食事を私は食べさせられていたのか、うえええーっと吐きそうになりながら も、友人来訪の大事を控えて、見て見ぬふりをするわけにはいかない。私はそれらを片っ端から引っ張り出し、 流しとその周りに山のように積み上げ、仕上げに「しっかり洗えよ!」という空気を吹きかけて台所を後にした。
  4時、5時、6時、外はもう暗くなり始めている。もしや奴は家出したのか? と思い始めた夜7時過ぎ、 がちゃがちゃと門を開ける音が、部屋で本を読んでいる私の耳に届いた。奴め、やっと帰って来たな…、いまごろ 台所のごみと洗い物の山を見ているんだろうか。反省してすぐに洗い始めるかね。まったく、ここまで親切な主人は いないよ…。いや待て、あのラトミのことだ、自分のテリトリーを荒らされて、気分を害しているかもしれない。姉が 来たときも拭き掃除をしていたら怒られたって言ってたもんね…と、部屋で彼女の行動を想像していた私に、 刻一刻と決戦のときは近づいていた。
  その戦は、強い調子のノックで始まった。扉を開けるとそこには、オアシスにもっともふさわしくない、ラトミの 超ど級に不機嫌な阿修羅のような顔があった。「センセ! あんなの、あれ!!」
  そうか、やっぱり怒ったんだね、君は。まぁ、予想はしてたけどね。君の性格からいくと。でも私は 怒らないからね。準備していたんだから、君が怒った場合の対処を。私は冷静に応じた。
  「なんなの、あれ…って、だって、この前頼んだよね、週末に台所を掃除してって。でもラトミが帰ってこない から、私が一人でやったんだよ、ラトミの代わりに」
  本当はとっても怖かったのだが、勇気を出して私は言った。毅然として言った。宣言したと言っても いいだろう。すると彼女の顔はますます鬼の様相を呈していき、こう言った。
  「疲れて帰ってきたのに、あんなごみの山と洗いものを見たらますます疲れるじゃないのさ!」
  はい? 「疲れて帰ってきたのに」って、それって私のせいですか? 疲れて帰ったのは自分の せいじゃないんですか〜! と喉元まで出ていたがぐっと我慢し、「でも、洗ってもらわなきゃ。友だちが来るのは 今週なんだから」と、びしっと言い放つと、彼女は遂に、遂に言った。
  「そんだったら!」
  「そんだったら?」
  「そんだったら…辞めるさね! 先生がそういう態度なら、わたしゃ辞めるさね!!」
  …や、…や、…やったぁぁぁーーー! 
  ラトミファンクラブのみなさま、およびお手伝いさん人権擁護団体のみなさまがなんと言おうと、私の 気持ちは素直にうれしかった。胸の中のざらざらごろごろした砂利石がさぁーと消えてしまうようなスッキリした 気分だった。そしていつもの私だったら、「ちょっと考えなおしてよ」とか、「じゃ、お給料少し上げるから」とか 言ってしまうのだが、今回はいっさい言わなかった。言ったのはただひとこと、「いつ?」であった。
  みなさんは私を冷たい人間だとお思いだろうか。ひどい主人だとお思いだろうか。だが、思い出して いただきたい。前回お話したラトミの所業の数々、主人をあごで使ったたまご事件を。主人に向かって自分で洗えと 言ったソファーカバー事件を。それだって氷山の一角だ。だから私は引導を渡した。
  「わたしゃ辞めるさね!!」
  「いつ?」
  なんてムダのない、すっきりとわかりやすい会話。
  「恋人できちゃった!!」「だれ?」
  「ボーナス出たよ!!」「いくら?」
  「あれの買えるとこ見つけたぜ!!」「どこ?」
  訊きにくいことをすっぱりはっきり訊いてしまう。そうすれば世の中の会話は通常の半分ぐらいで すむだろう。婉曲表現にまみれた日本人間の会話なんて、もしかしたら5分の1ぐらいの量になるかもしれない。 とにかく私は、彼女をひきとめなかった。
  彼女は一瞬言葉につまり、「2、3日様子を見てから叔父さんに迎えに来てもらうさね…」と答えた。 「ちょっとかわいそうかな…」と感じはしたが、ここは我慢のしどころ。その言葉をぐっとのみこみ、私はいたって 平静に「そう」と言ってドアを閉めた。7年10ヶ月目の破局であった。翌日は会話のないままだったが、2日後に 学校のスタッフとラトミと私とで話したときには、神妙な顔で、「センセ、7年間ありがとう。私もいろいろ悪かったね」と 言い、その次の日に彼女は出て行った。

  今考えてみれば、ラトミとの戦いは、情に流されていく自分の弱さとの戦いだったような気がする。 インドネシアのお手伝いさん事情からすると7年間10ヶ月勤務は上出来だったと思う。レバランはいつも帰省せず しっかり留守番をしてくれたラトミ、学校の手伝いを積極的にしてくれたラトミ、私の家族をよく気遣ってくれたラトミ。 彼女のたくさんあったいいところ、それを忘れてはなるまい。彼女への退職金は100万ルピア。私にはそれが 正しい数字なのかどうかはわからない。ここインドネシアは「正解」のない国だから。

 
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