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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
91回


2005年 11月



著者:甲斐切清子

  

先月号でさっそうと登場した、うちの新しいお手伝いさん、ヤンティ。 声もかわいいし、きれい好きだし、なによりハイハイとなんでもてきぱきやってくれるのがうれしい。おまけにお弁当 作りもすっかりうまくなって、お弁当箱に冷奴さえ入れなければ、もうどこに出しても恥ずかしくないお手伝いさんに なってくれた。   
  しかし、ここにきて彼女の不思議な部分が見えてきた。不思議というか、奇妙というか、なぜか日常的に お金の持ち合わせがないのである。もちろん私は毎月きちんとお給料を渡している。でも、私が小銭が必要なとき とか、ちょっと借りたいときに、「ヤンティ、5,000ルピア持ってる?」と訊くと、それはもう瞬時に「Tidak ada(ない)」と 答えるのである。「3,000ルピアでもいいんだけど」「Tidak ada」。「2,000ルピアとかも?」「Tidak ada」。またこの返事が なんとも間延びしている。「ティダア〜ダ」と、「ア」のところに高めのアクセントがきて「〜」で音が落ちていく感じ。 とにかくまったりとしたイントネーションなのである。さては財布の中をしっかり見もしないで言ってるなと思い、 「とにかく先生は今このとき、just now、小銭が必要なのです。1,000ルピアでもいいから持ってないですかね?」 「ティダア〜ダ」なのである。ま、私自身もこうして突然小銭にまったく見放されるという状況に陥ることがあるので、 ヤンティもそういうことがあるのだろう。   

  だが、ある日のことである。夜9時ごろ、学校からの帰りにタクシーに乗り、家まであと半分という距離 まで来たところで、私はふと思い出した。「もしかして私はお金がないかも」。昨日の記憶を思いたぐれば、フトコロ 淋しいままでスタッフとラーメンを食べに行き、最後の10万ルピア札を使ってしまったような気がする。たしか お勘定は90,000ルピアぐらいだったから、財布の中には1万ルピアしかないことになる。だがすでにタクシーの メーターは1万ルピアを超えようとしている。私は急いでカバンの中から財布を取り出し、中身を確認した。愕然!  悪い予感がみごとに的中した。かなりわびしい内容である。しかも見たところ1,000ルピア札がわらわら 入っているだけで、どうやら1万ルピアさえもないようである。そうか、昨日のラーメンは1杯35,000ルピアに いろいろサービス料とかがついて4万を超え、結局合計は9万+いくらいくらだったのだ。だからお釣りは 1万ルピアを切っていて、このざまなのだ。どどど、どーする!   

  実はこういった場合、昔はいたって簡単だった。家に着いたときに、前任者のラトミに、「ラトミ、お金が 足らないから5,000ルピア貸しといて」「あいよ!」で間に合った。なぜならラトミは結構お金持ち(?)だったからだ。 で、どうして私はこのとき、どどど、どーする! と思ったかというと、ヤンティの前述の「ティダア〜ダ」が脳裏を よぎったからである。不安を抱えたまま帰宅するわけにはいかない。家に着いて、メーターは15,000ルピア、でも 私は9,000ルピアしかもっておらず、ヤンティが「ティダア〜ダ」とくれば、タクシーの運転手さんは当然怒るであろう。 到底、まけてもらえる額ではない。もちろん、向かいの家に「のこぎり貸してください」とか「ネギ、分けてくれませんか」 と言ってお願いできるようなものでもない。よし、ヤンティに一応確認してみよう。万が一ヤンティに持ち合わせが なければ、ちょっと引き返してBCAのキャッシュコーナーに寄れる。私は家に電話をかけた。発信音が2回聞こえた あたりで、「ハロー」というヤンティのかわいい声が聞こえてきた。   
  「ヤンティ、先生ですよ」「ヤー」。ここまではよかった。だがしかし、問題は次である。   
  「ヤンティ、1万ルピア持ってる?」「ティダア〜ダ」。くそ、またしてもだ。私はしつこく粘った。が、敵もしぶといもので、   
  「なら、5,000ルピアだったらある?」「ティダア〜ダ」。揺るぎないまったりさで彼女は即答する。   
  「あのさ、じゃあさ、今いくら持ってるの、3,000ルピアだったらあるの、2,000ルピアとか」「ティダア〜ダ」。 まるでオウムとしゃべっているようである。そうしている間にも家はどんどん近づいてきている。なのに、この状況を 受け入れられない私は知らず知らずのうちにヤンティに詰問口調で話していた。   
  「だったらヤンティは毎日のお金はどうしてるの、野菜買ったりラーメン 買ったりするのにお金がいるで しょ? お給料日から10日もたってないのに、お金が1,000ルピアもないってどういうことなの」。ヤンティの困惑して いる空気が伝わってきた。彼女は田舎に子供を預けているから、確かにお給料のほとんどは田舎に送っているの だろう。それにしたって彼女自身の日々に使う生活費は必要なはずで、それは自宅においてあるのが普通である。 黙っているので、「ヤンティ?」と呼びかけると、「ヤー」と応える。「この間もないって言ってたし、今日もないって、 変だよね」「・・・」、「借りたお金は、明日すぐに返すから」「・・・」、「ほんとにないの」「ティダア〜ダ」。がっくり。 その段階で私はようやくあきらめた。追求に時間を使ったせいで、BCAのキャッシュコーナーはすでに後方はるか 彼方である。運転手さんに言って引返してもらうことにした。   

  あまりに納得がいかないので私はこの奇妙な現象を分析してみた。そしてひとつの、大いに信憑性の ある仮説に行きついた。もしかしたら彼女は以前、とてもお金にだらしのない主人に仕えていたのではないだろうか。 その主人が小銭をちょいと借りては、よく返却を忘れたのではないだろうか。借金をわざと踏み倒そうとしたわけ ではない。借りたお金というものは、小額であればあるほどついうっかり忘れてしまうものである。それが彼女の 過去の苦い経験となり、以降けして雇主を含む誰にもお金を貸さないと決意したのではなかろうか。   

  その分析結果に確信を持ったのは、それから何日もたたない土曜日のことであった。その日、私の家で は昨今頭を悩ませているハト害対策として、2階のベランダのひさしに網を取り付ける作業をすることになっていた。 そのために、学校の設備担当の職人さんに、学校にある折りたたみ式のはしごを持ってきてくれるように頼んだ。 すると彼曰く、「あのはしごはもうありません」。ぬぬ、それはどーゆーこと? 「なくなりました」。それじゃ答えに なっていないではないか。形あるものがなくなるのは、必ず理由があるはずである。人が亡くなるのは病気か、 事故。食べ物が無くなるのは人がそれをおなかに入れちゃったから・・・とかとか。そういうと、職人さんはちょっと ばつが悪そうに、数ヶ月前に入っていた家の修理の人が借りに来たので貸してあげたら、そのまま消えたという のだ。消えた…って、その人に返してって言ったの? と訊ねると、もちろん言ったが、その人は「失くなった」としか 答えないと言う。はぁぁぁ〜? それは、はっきり言って盗まれたってことじゃないの。まったく自分のものでもない のに、勝手に貸さないでよね―とぶつくさ言いながら、仕方がないので、ラトミがいつもはしごを借りていた向かいの イブ・トゥティに借りることにした。   
  チャイムを鳴らすと、イブが出てきて、「あらー、先生、元気だった〜? ラトミがいなくなっても私たちの つきあいは変わらないからね〜」と機嫌よく迎えてくれた。ほっとして私は用件を切り出した。すると、イブは一瞬、 「はしご? 何に使うの。先生んちで使うの?」と訊いてきた。思いのほかきつい口調だったので、一瞬惑ったが、 かくかくしかじかでハトよけの網を取り付けるのに使いたいんだけど…と事情を説明すると、それならと、倉庫から まだ開封もしていない新品のはしごを出してきた。びっくりした私が理由を訊くと、イブの家ではいろんな人に親切に 貸してるうちに、すでに2回もはしごがなくなり、先週この3台目を買ったところなのだそうだ。知人に貸しているだけ ではなくならないのだが、知人がまたその知人・友人に貸してしまうので、こうなるらしい。直接の知人はなくしたのは 自分ではないから、代わりに買って返すというような責任のとり方はしないし、なくした当の本人に責任を問うことは 根が優しくてシャイな民族ゆえ、しない。   

  そういえばインドネシアでは、友人に貸したギターがなくなっただの、CDがなくなっただのという話を、 よく耳にする。助け合いが美徳とされる国なのに、人の厚意はときおり踏みにじられる。それを考えるとヤンティの、 5,000ルピアでさえも貸したくないというのは、実にうなずける話なのであった。             

 
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