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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
95回


2006年 4月



著者:甲斐切清子

  私はいつも原稿を仕上げるのが締切日ぎりぎりである。今回はどんな話題にしようとか、面白い話があるけどイラストにしにくいな…とか、人知れず悩みと戦いながら机に向かっていると、あっという間に締切日とご対面してしまう。
  だが、今月号はちがう。3月号の原稿が仕上がってすぐにこの4月号に着手した。珍しいことである。なぜなら、あまりにも衝撃的な事件が起きたので、これは今書かずしていつ書くのだ、一ヶ月たったらこの話題は(自分の中で)新鮮味を失ってしまうではないか。そう思い、事の2日後にこれをしたためている。
  思えば、ジャカルタに住んで14年。いろんなことがあった。楽しいこともたくさんあったけど、大変だったことのほうが記憶に残っている。勤めていた日本語学校が急に閉校することになったときの困惑。空港でチェックインしようとしたら予約が入ってなかったときのショック。マンガドゥアで噂の鞄ざっくりにやられたときの衝撃。でも今となってはこれら全部を束にしても、鼻で笑える。
  本日私がここで語るのは、「お手伝いのヤンティが私のノートパソコンを人にあげちゃった話」である。こう聞くと、なんともやわらかい印象がし、軽い文体がひょうきんでさえある。だが、読んだみなさんは一様に「は?」と反応されたことだろう。私もあまりにも予想外のことだったので、最初に話を聞いたときの反応は、「は?」であった。だが、聞けば聞くほど今回起きた事件は、「お手伝いのヤンティが私のノートパソコンを人にあげちゃった話」以外のなにものでもないのであった。

   その日私は帰宅して、いつものようにヤンティといっしょに夕飯を作っていた。この日のメニューはお好み焼き、あれはたしか、ヤンティがキャベツを刻み、私が玉子と小麦粉を準備しているときだった。ヤンティがおもむろに話し始めた。
  「あ、そうそう、先生のコンピュータ、友達に渡したからね」
  「は? コンピュータ?(困惑)」
  「うん、先生の部屋にあるコンピュータ、友達が来て、先生に借りることになったからって」
  「……… (理解するまで数分の時間経過の後)? なに、えっ!?!?!?(驚愕) それで、渡したの!!!」
  「う、うん」
  「がぁぁぁーーん!!(卒倒寸前) 誰よそれっっーー!」
  「だから…先生の友達って…。先生の名前も知ってたし、ハイキリ先生って(注:私はイキリ)」

  「ハァハァ…(呼吸困難)」
  「だって、先生の言葉(日本語という意味)もしゃべってたよぉ」

  「なに言ってんのーーー(怒)、いまどき誰でもコンニチワぐらい知ってるわよ〜、それで!?」
  「そしたらまた戻ってきたの。充電器がないって。それから、コンピュータを運ぶバッグもあるはずだって」
  「でっ!?」

  「うん、だから、また2階に上がって、部屋に入って、充電器とバッグを持ってきて…」
  「渡したのっ!?(唖然)」
  「(コックリ)」

  「…も〜おおおお〜、ばかー! ばかばかばかっ(泣)!!!」
  もちろん、本人に向かってばかと言ったわけではない。言ったのは、夜、寝床に入ってからである。布団をかぶって「ヤンティのばかばかばかっ!!!」と小さく叫んだ。こんなときにも彼女を傷つけまいとしているなんて、なんといじらしい私なんだろう―というより、なんておひとよしなの。ばかは私。

  それにしても信じられない。「先生の友達」と言ったから信じたと彼女は繰り返したが、そしたらインドネシア人2億人、いや、世界中の人が私の友達となってコンピュータをもらいにくるだろう。私の名前を知ってたって? この14年間、私がジャカルタで接した人たちの数を君は知ってるのか! それにここTebetの地区会の人たちだって、みーんな私の名前を知っている。その人たちの友達たちも、そのまた友達たちも入れたら、ジャカルタに「カイキリ先生」、この際「ハイキリ先生」でもいい、その名前を口に出せる人は、ざっと見積もっても1000人は下らないはずだ! 先生の言葉(日本語という意味)をしゃべってたって言ったけどね、韓国語とタガログ語と日本語の違いがわかるのか、君に! あああ〜、でも、あげちゃった(盗られた)ものは返ってはこないよ、ましてやこの国ではね。だがしかし、とほほほ。
  私のコンピュータは、東芝Dynabookであった。初めて買った新品のノートパソコンである。一昨年の夏に買ったから、まだ一年半しか使っていない。はっきり言って私の身の回りにあるものの中で、150juta(200万円)のトヨタ・キジャンの次に高価なものであった。「ヤンティ! あのコンピュータはすっごくすっっっっごく高かったのよ!」と言ったとき、彼女は蒼白な顔をしたが、せいぜい2〜3jutaにしか考えていないだろう。
  
  言うまでもなく、食欲はすっかり失せてしまった。「今日はもう食べたくない」と宣言して部屋に入る。信じられない面持ちで机の上に目をやると、ほんとうにDynabookはなくなっていた。よくよく考えたら、買ったばかりのMP3プレーヤーの付属ケーブルもつけたままだった。ということは、買ったばかりのMP3プレーヤーに入っている100曲の音楽を、今後入れ替えることはできない。このまま、今入っている「ハナミズキ」や「世界でたった一つの花」などをずっと聴き続けなければならぬのか。ヤンティのばかっ! なんでいつもの、「ヤンティ、1000ルピア貸して」「ティダア〜ダ」みたいに、「先生のコンピュータ、あるだろ」「ティダア〜ダ」って、言わなかったのよっ!(←ブリタジャカルタ2005年11月号参照)

  インドネシア人の知り合いたちは、「先生、お手伝いさんをちゃんと教育しておかなきゃ」と口々に言ったが、私はヤンティを雇ったとき、3ページに渡る仕事内容と注意事項を彼女に渡した。それは充分過ぎる内容だったと今でも思う。誰が、「先生のコンピュータを勝手に人にあげてはいけません」なんて、そんなわかりきったことをわざわざ言うだろうか。そんな、「家の中で焚き火をしてはいけません」とか、「タマ(注:うちの猫)をサーカスに売ってはいけません」とか、あまりに当然過ぎることは誰もいちいちお手伝いさんに言いはすまい。
  部屋のソファに身体を沈める。あまりの興奮に食欲も失せたが、かといってすぐに寝る気にもなれない。暗い気持ちに拍車がかかる。いかん、このままでは今夜不眠のまま朝を迎えることになりかねない。そういえば今日、学校からビデオを借りてきたっけ、なんとかドラゴンって、ジャッキー・チェンが出てきそうなタイトルの映画だった。それ観て笑って気持ちを吹き飛ばそう…と思ってビデオデッキにテープを入れたら、それは、始まって10分後にはすでに5人もの人が殺されるというサイコサスペンス映画「レッドドラゴン」であった。げ〜。
  だがしかし、この映画を観たおかげで、私は今回の事件を少しポジティブに考えられるようになった。家に強盗が入ってヤンティや私が殺されたわけではない。けがもしていない。映画の中で、血の海を見た途端、私はそのパソコン泥棒に感謝した。そしてまた、不思議なくらい立ち直りが早かった。なぜなら、ひったくられたのなら犯人を恨むだろうし、どこかに置き忘れたなら不注意な自分を責めるだろう。でも今回のケースは、ヤンティが人にあげちゃったんだから「犯行」とは言えまい。素直に渡したヤンティもかえっていじらしい。ましてや自ら後悔のしようもない。ただ、毎日帰宅して部屋に入るたびに、机の上から、あのシルバーメタルのいなせなDynabookの姿がかき消えているのが、ふと寂しい。

 
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