Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           

 

日本語教師七転八倒物語
96回


2006年 5月



著者:甲斐切清子

  

それは、「お手伝いのヤンティが私のノートパソコンを人にあげちゃった」ショックからまだ立ち直っていない、3月初旬のことであった。夜中に電話がリンリーンとせわしく鳴った。20代の血気盛んなころには、深夜1時2時まで友人たちからしょっちゅう電話があったものだが、さすがに40を過ぎたころから、私を含めた友人ほとんどが、すべての行動において夜を越すパワーを失ってきて、12時を過ぎて電話が鳴ろうものなら、すわっ誰に不幸が! と、びくつくようになってしまった。

この日も、夜中のリンリーンにいやな予感が私の頭をかすめた。間違い電話だよ、きっと…と、ベッドにへばりついてやりすごそうとしていると、音が途切れた。お手伝いのヤンティが1階の受話器を取ったのだ。もし私あての電話だったら、すぐにヤンティが私に知らせにくるはずである。だが、しばらくしてもヤンティが上がってくる気配はない。それどころか、階下からヤンティの声が届いてくる。ヤンティはもともと声が小さく、夜のしじまの中でもけして5メートル先には聞こえない声である。それなのに、2階の私の部屋まで聞こえるのだ。ということは、これは話しているのではない、叫んでいるのだ。そう思ったとたんに、部屋のドアがノックされた。ドアの向こうから、「センセッッッ…」という、やや震えたヤンティの声が聞こえてきた。すぐに飛び起きてドアを開けると、階段の手すりに寄りかかって泣いている彼女の姿が目に入った。

聞けば、田舎の母親が突然心臓発作で亡くなったという。それはたいへん! と思ったのは、もちろんヤンティの悲しみを思ってのことだが、もうひとつ、困ったことがあった。実はその翌日我が家にはとても大切なお客様が日本からいらして、4日間ほど滞在されることになっていた。はっきり言ってお手伝いさんのいない我が家は、空き家と同じである。値の張るパソコンはもうないが(←まだ引きずってる)、テレビとか電子レンジとか、泥棒さんたちにとってそれなりに価値のあるものがまだまだある。それに加えて日本の客人の持ち物は、きっと魅力的なはず。それよりなにより、ジャカルタでは仕事を理由に忙しぶって、縦のものを横にもしない私では、お客様の身の回りの世話は到底無理である。食事のあとの汚れた食器は誰が洗うのだ、出かけるときの鍵は誰がかける! 洗濯した服にアイロンをかけるのは!? タマのトイレ掃除は??? ひぇぇぇーーー!!! という私のパニックをよそに、ヤンティは真っ赤に泣きはらした目で、翌朝、田舎に帰っていった。どうしよう。お客様はもう成田を出て、きっとすでに空の上を飛んでいる。10年ぶりにジャカルタにおいでのVIPに、「いや〜、実は我が家は今、流しに洗い物が山のようにたまっていて、家中猫のウンチのにおいがしているんですが、よろしいでしょうか?」なんて言えやしない。

 

だが、こんなときにうちの学校では、とびきり便利なシステムがある。我が学校ジャカルタコミュニケーションクラブは、語学センター(JCC1)と文化センター(JCC2)どちらにもそれぞれ、インドネシア人夫婦が警備員とお手伝いさんとして働いてくれている。しかもそのだんなさん同士は血のつながった兄弟だ。バパ・チャティムとバパ・タルシムとそれぞれの奥さんの計4人体制で、私の家のお手伝いさんに問題が発生すると、二人の奥さんのうちどちらか一人がピンチヒッターとして、我が家に来てくれる。だから、さっきはパニックなんて書いたが、パニックはパニックでも、震度1ぐらいのパニックだったのだ。

すぐに翌日、ヤンティが来てくれた。名前が同じなのでまぎらわしいが、JCC1のお手伝いさんも名前が「ヤンティ」なのである。ほっとして、「ヤンティ、助かったよ!」と笑みをたたえて私が言うと、彼女は苦笑いしながらこう言った。

「でもセンセ、私のお父さんも今調子悪いんだよ」。どきっ。そういえば先週末ヤンティは、父親が倒れたといって田舎に帰り、持ち直したのを確認して戻ってきたんだっけ。「大丈夫だよ」という私の一言に、彼女はうなずくだけだった。

その夜、無事お客様をお迎えし、食器洗いもアイロンがけもタマのトイレも次々と片付いていくのを見て、ほっと安堵する私だったが、しかし、その翌日朝早く、リンリーンとまたもや不吉な電話音が我が家に鳴り響いた。はたしてそれは、ヤンティの父親が亡くなったという、学校からの電話だった。一人っ子でお父さんっ子でもあった彼女の場合、号泣であった。当然、葬儀のためにバパ・チャティムとヤンティは夫婦揃って帰省せねばならない。これは自動的に、もう一組の夫婦、パパ・タルシムとアウェンが、JCC1とJCC2に分かれて留守を担当するといういケースである。では、私の家は! と、今回のパニックはいきなり震度3ぐらいまで針が振れた。次の数式をご覧になっていただきたい。

2校舎および甲斐切家合わせて3ヶ所の担当者

JCCの警備&お手伝いさん総数 :夫婦2組=4人

2週間の警備&お手伝いさんの数 :4人−2人=2人

各箇所担当者数      :2人÷3箇所=0,666…

足らない…、足らないではないかーーー!!! 考えれば考えるほど、パニックレベルはじりじりと上がっていく。しかも、そのパニックをお客様に悟られてはならない。今回のお客様は、「ジャカルタの一軒家に住む外国人はお手伝いさんを雇っている」という常識を知っている方だけに、もし我が家にお手伝いさんがいなければ、

@甲斐切はお手伝いさんが雇えないほど貧乏

A甲斐切はお手伝いさんが居つかないほど人使いがあらい

B甲斐切はお手伝いさんがいなくても生きていけるほど生き方が大雑把

―のいずれかの烙印を押されてしまう。いや、もしかするとそのすべてが起因して、お手伝いさんがいないのか…と思われる危険性もある。それだけはどうしても避けたい。

だが、心配ご無用。こういうときには、我が校のとっておきの秘策が登場する。そういう意味では、私のパニックはまだ最大級には至っていなかったのである。助っ人は、学校車の運転手サムちゃん。彼は独身のときから、JCCの留守番をよくしてくれた。所帯を持ってからは、あまり簡単にはOKしてくれなくなったが、さすがに今回は緊急事態と察してくれ、JCC1の留守番および警備を担当してくれることになり、JCC2は通常通りバパ・タルシム、そしてめでたくアウェンがピンチヒッターのピンチヒッターとして我が家に来てくれた。やれやれ…。

お客様を見てみる。パニックを悟られてはいけないとこちらが思っていても、そこは勘のいいVIPのこと、すでに、「お手伝いさんのいる生活も大変ね」という目つきになっている。あ〜、なさけないったらありゃしない。

 

今回は二人のお手伝いさんに不幸があって、かわいそうであった。だが、いつもは子煩悩な親としか見えないのに、立て続けに親の死を悲しむ姿を目の当たりにして、彼女たちのことをぐっと身近に感じるようになった。

しかし―、ふとおそろしいことに気付いた。今回のお葬式の場合、うちのお手伝いさんヤンティの母親と、学校のお手伝いさんヤンティの父親だった。もし、バパ・チャティムとバパ・タルシムの親御さんに何かあったら…、いや、縁起が悪いのでほかの例でいこう。もし、彼らの親御さんが還暦を迎えたら、いや、これもないか。ん〜、そうだ! 彼らの兄弟の結婚式があるとしたら、兄弟夫婦2組4人が全員田舎へ帰ることになるだろう。そうすると、数式ではじき出される数字ははてしなく0に近くなっていくはずだ。そのとき私のパニックは、前代未聞の震度5を記録するに違いない。それを考えると、うーむ、兄弟を雇うのも考えものだぁ〜。                

 
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