Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
 Since 1997

よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           
 
2003年3月正式公開より
本日  昨日
日本語教師七転八倒物語
97回


2006年 6月



著者:甲斐切清子

  

最近、ブリタジャカルタの感想を遠いところからいただく。どうして遠いところかというと、インターネットでも読めるからである。JCCのホームページの中で、この日本語教師七転八倒物語を紹介しているので、インドネシアはもちろん、日本からも、香港やイギリスやカナダに住む日本人の方からも感想が届くのである。それらを拝見していて、ひとつの事実が明らかになってきた。みなさん、私の失敗談とか、不幸話はたいへん楽しいらしい。

古くは「JCC車買い替え前日、まさかの事故に泣くの話」とか、「レバラン休暇に空港で愕然! 航空券の予約が取り消されていた話」とか、新しいところでは、「お手伝いのヤンティが私のパソコンをあげちゃった話」とか、そんな話を書いた翌日には、「いや〜、おもしろかったですわ、今回のは」というメールがわさっと届くのだ。ま、確かに私もなにか大事(おおごと)があるとすぐに、「あ、これ、ブリタにもらい!」とひそかに思ったりするわけだから、人のことを責めもできないが。

なので、といっては何だが、今回も不幸話を取りあげたいと思う。

今回は、エレベーターに閉じ込められた話である。ぬぬ!? エレベーターときたか、って感じでしょ。ふっふっふ、怖かったですよ〜、これは。エレベーターに閉じ込められたんですよ、しかもジャカルタで。これが日本なら、あまり心配もせずに救助を待ちますが、インドネシアですぜ、ダンナ(誰と話してる?)。いくらエレベーター自体が日立製作所や三菱電機のものでも、設置したのも管理しているのもインドネシア人なんだから、怖いの怖くないのってそりゃもう、その場で遺書を書かねばならぬと思いつめちゃうぐらい怖かった。

 

あれは忘れもしない昨年末のスカルノハッタ空港。年末といっても12月の声を聞いて間もなかったから、師走の喧騒を迎えるまでには至っておらず、私が乗るべきガルーダの、出発2時間前の夜10時の空港はいかにも閑散としていた。

その日、私はいつものように1階のターミナルに車をつけてもらった。出発ロビーは2階だが、到着ロビーの1階に私の大好きなバクソークワティオ(肉団子入りインドネシアきしめん)のお店があるので、私はお客様の送迎のときも、自分の出発到着のときも、必ずこの店に寄るのだ。どんなに忙しくたって疲れてたって私がほいほいと空港に向かうのは、懐かしい友人に会えるからでも、久しぶりの日本帰国がうれしいからでもなく、ただひたすらその店のバクソークワティオを食べられるからなのだ。


 この日も、車から降りて、鉄工所の鉄材運搬台にしか見えない、さびの浮き出たカートにスーツケースとお土産を載せ、ゴロゴロガタガタと目指すクワティオ屋に向かった。さいわい込んでもなく、カートを入り口近くに置いて、ゴールデンプラチナセット、バクソークワティオ&ジュルックニピスを頼む。手際よく作ってくれたそれを口に運ぶ。「やっぱりおいしいぃぃ〜」と頷きながら平らげる。2万ルピア少々を払う。その一連の作業を20分ほどですませ、再び私はカートの取っ手をつかんだ。さぁ、これで1ヶ月間インドネシアの味とおさらばだ。あとはガルーダに乗って東京を目指すのみ! と、私は1階ロビーから再び外に出て、出口そばにあるエレベーターの前に立ち、ボタンを押した。


 さて、そのエレベーターであるが、私はスカルノハッタのエレベーターが嫌いだ。まず見た目が無骨すぎる。デパートの職員専用エレベーター、ホテルの業務用エレベーター、病院の緊急担架用エレベーターという風情で、どう見ても世界に続く玄関口、国賓を迎える国際空港の風格・品格・価格がまったく備わっていない。もしかしたら外国人の方は、あれをエレベーターと認識していないかもしれない。

それになんといってもスピードが遅い。スカルノハッタ空港は2階建てである。だから、一番長くても1階分の昇降のみである。なのに、ここのエレベーターは、その1階分を昇降するのに30秒はかかる。カートさえひいてなけりゃ絶対使いたくない代物だ。だが、帰国の場合、たいてい大きなスーツケースを携えて帰る私としては、1階のバクソークワティオと縁を切らない限り、このエレベーターにお世話にならないわけにはいかないのだ。

この日も、2階の出発ロビーから降りてくるエレベーターを待つこと30秒、やっときたエレベーターは空だった。ラッキー、と即座に思った。だってこの無骨なカートは、風体にふさわしくコロの調子も絶不調だから、微妙な動きができない。このエレベーターの中に、順番という言葉を知らないインドネシア人や、ほかにも2台3台と無骨なカートが乗ったりしていたら、めったやたらに窮屈になること必須である。だから、ラッキーだと思ったのだ。


 ゴロン、ゴトゴト、ガッタン、とカートを押してエレベーターの中に入る。
改めてじっくりエレベーターの中を眺め見る。つくづく国際空港にいることを忘れさせるエレベーターだ。出発ロビーのボタンを押す。ごっとん、というか、ゆらりという感じでエレベーターは動き出した。さぁて、また30秒か。30秒って、ギネスブックに載ったっていう、台北国際金融センターの世界最速エレベーターなら100階近くまで昇るよなぁ。なんでだ〜、おんなじアジアでなんでこう違うんだぁ…と考えているうちに、ふと我に返った。むむ!? すでに30秒は経過したんじゃないか。40秒、50秒…ぬぬ!? 1分? いや、2分は経った。しかもエレベーターは、…もう動いていない。ということはすでに2階に着いたということではないか。なのに、なんでドアが開かないのだ?

当然の行動として私は、開閉ボタンを押した。でもドアは開かない。ためしに1階へ降りるボタンを押してみた。だが、無骨なエレベーターは、まるですねた年寄りのようにまったく動こうとしない。このときの私はまだ状況を楽観視していた。ま、よくあることだね、エスカレーターが止まっちゃっただの、自動ドアが閉まらなくなっただの、ここインドネシアじゃ日常茶飯事だもんね…と考えながらも、突然怖ろしいことに気付いた。エスカレーターが止まっても歩いて上り下りできる、自動ドアが閉まらなくなったら開けっ放しにしておきゃいいだけの話。だが、乗っているエレベーターのドアが開かないってのは、「閉じ込められた」ってことである。これが開かない限りは、私は家(この場合、日本)に帰れないのだ。それどころか、トイレにも行けない。ぞぞ〜〜〜! それはたぶん3分経ったころであろう、私はやっとちょっとあせり始めた。

でも、かすかにスリリングな状況を楽しんでいる自分もいた。そんな自分にさせたのは、次から次へと浮かんでくる映画のシーンであった。ぱっとひらめいては消えるその画面の一つ一つが、今自分のおかれている状況と重なる。登場する美しいヒロインは当然私になっている。

映画ではこういった場合、まずエレベーターの天井にある出口から脱出していることを思い出し、天井を見上げてみた。だがすぐに絶望的な現実に直面した。天井が高すぎるのである。そういえば映画の中ではたいてい数人が閉じ込められて、助け合って上っている。ひとりじゃできないアクロバットはすぐに諦めた。


 続いて、大きな声で絶叫というのもやってみた。閉じ込められた美しいヒロインが、「ヘルプミー!!」って叫んでいるのをそのままやってみたのである。

「トロォォォォーーーン!!」

…頭が割れそうだった。無骨なエレベーターは、見たくれは最低だが密閉性はけっこうあるのだろう。私の絶叫は、その密閉性の高いエレベーターの隅々に反響して、そのまま私の耳に返ってくるだけだった…。


 こんな話題、半ページで充分かも…と思いながら書き出した、
エレベーターに閉じ込められた話、意外にも長くなってきたので、次回に続きます!                                                             ―つづく


追記:今回のエレベーターの話題は、5月初めに執筆したものです。6月に日本でおきたエレベーター事故と時期が重なりましたことをお詫び申し上げます。

 
Jakarta Communication Club

JCC1- Jl.Cipaku2 No.27 Kebayoran Baru Jakarta Selatan 12170 INDONESIA
(TEL) 7203966/72791829 (FAX) 7203966

JCC2 - Jl.Cipaku2 No.4 Kebayoran Baru Jakarta Selatan 12170 INDONESIA
(TEL) 7257266/7250530 (FAX) 7257266


http://jccindonesia.com