Jakarta Communication Club
ジャカルタコミュニケーションクラブ
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よもやまクラブ by Ibu KAIKIRI                           
 
2003年3月正式公開より
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日本語教師七転八倒物語
98回


2006年 7月



著者:甲斐切清子

 

(先月号のあらすじ)

昨年末、帰国の途に着こうとしていた私を待ち受けていたのは、人を閉じ込めたままびくともしないスカルノハッタ空港のエレベーターだった。恐怖におののきながらも、数ある映画のいろいろなシーンを思い浮かべてヒロインのまねをしながら、どうにかしてエレベーターからの脱出を試みる私。だが、作り物の映画とはなにかと異なる過酷な現実が、次々と目の前に立ちはだかる! これは実際にあった怖いお話です。

 

徐々にスリルを楽しめなくなってきた私の頭に、ついに絶対思い出してはならない映画のシーンが浮かんだ。「ダイハード」でも、「スピード」でもそのシーンはあった。それは、エレベーターが奈落の底に落ちていくシーンである。

いやだ! それだけはいやだ!! ひゅーーーーーって急降下して、どぉぉぉんって、地上に激突して死んじゃうなんて、そんなのいやだぁぁぁ〜〜〜! とは思ったが、この心配はすぐに消えた。なにせ1階と2階をつなぐエレベーター、ましてやあのスピードなんだから、落ちたところで死にゃすまい。さしあたって、この状況で考えられる最悪の状況は、酸欠で死ぬ、空腹で死ぬ、膀胱炎で死ぬ、孤独感で死ぬ、そこらあたりか。いや、大事なことを忘れていた、このままだと23:55発の日本行きガルーダに乗れなくなってしまう! いかん、それだけは回避せねば!

そこで私はやっと非常ボタンに手をかけた。きっとみなさんはさっきから…というより、先月号から思っていらしたことだろう、なんで非常ボタンを押さないのって。非常ボタンはもちろんあった。その上ご丁寧にも非常用送話口まであった。だが、ここはインドネシア。あの無骨なエレベーターを見て、この非常ボタンが正常に動いていると思う人は、一体何人いるだろう。

しかし私は、日本に帰るのだ! という必死の思いにかられ、無駄と知ってその非常ボタンを押した。手ごたえは、予想通り、「スカ」だった。「はずれ」、または「残念!」、あるいは「暖簾に腕押し」でもいい。とにかく、先方で非常ベルが鳴っている感じがしないのだ。通常、こういったボタンは、押したときに点灯するとか、後方からかすかに音が聞こえてくるとかする。もしくはそのような現象がなくても、なんとなくあちらさんで鳴っている感じというものが指先を通して伝わってくるものである。だが、ジャカルタ・スカルノハッタ空港エレベーターの非常ボタンは、そういった感じが一切なかった。それはなにをどう考えても、長く深い眠りについた装飾のひとつでしかなかった。

そしてうつろう目を、「非常用送話口」にもっていく。これも装飾のひとつであると確信しながらも、一縷の望みを捨てきれない。「これが最後の手段」と考えると、その送話口に近づくことさえ怖い。なぜなら、これがだめなら、もうお手上げ―ということではないか。可能性を絶たれたときこそ、人間はもっともきついのだ。絶望に打ちひしがれ、そのつらさゆえに自ら命を絶ってしまうかもしれない。まぁ、このエレベーターの中じゃ方法に窮するが。

だが、23:55は刻々と近づいてくる。何もしないで絶望するより、何かして絶望するほうが後悔しないではないか…と、格言のようなことを口走り、ついに私は送話口用ボタンを押して、送話口に向かって叫んだ。

「トォロォォォーーーーーーーン!!!!!!!」

情けなくも先月号の過ちを再び繰り返してしまった。私の絶叫は、その密閉性の高いエレベーターの隅々に反響して、私の耳に返ってきた。うるさいっ! でもめげてる場合ではない。私は引き続き送話口に向かって、ありったけの単語を並べ、緊急事態を知らせる。

「ピントゥニャ、ティダッ・ビサ・ブカ! サヤ・ナイク・ガルーダッ! ティダ・マウ・テルランバァ〜ット!! トロォォンン!」

(訳)「ドアが開かない〜! 私はガルーダに乗るんだからさー!、遅れたくないよ〜! 助けてぇぇぇーーー!!!」

だがしかし思ったとおり、状況に変化が起きている様子は少しもない。この非常用送話口が正しく設置されているとしたら、普通は警備室につながっているはず。だが、これも非常ベルと同じで、こっちの訴えがあっちに聞こえているような感じがまるでしない。やはりこれも装飾の一部なんだという再確認に至り、がっくりとうなだれる。ひたひたと「絶望」という二文字が迫ってくる。


 思えば短い一生だった。でも、ジャカルタで暮らせたことは幸せだった。本当に心から神様に感謝したい。

それはいいとして、私のミイラはいつ発見されるんだろう。インドネシアじゃ、こんなオンボロエレベーターの1基や2基、開かないからといって即修理することなどなさそうだから、もしかして1ヶ月後の定期点検のときかもしれない。

娘の帰国を指折り数えて待っている母を思うと不憫でならない。外地の狭いエレベーターの中で、授けてもらった命を終わらせてしまう親不孝を許してほしい。学校のスタッフはどうだろう。いつもは煙たくても1ヶ月たって私が戻ってこなければ、さすがに心配するだろう。…あー! しまった!! そんなことより、明日の晩は友人たちと歌舞伎町で飲むことになってるんだった! 主役の私が行かなきゃみんな怒るよ〜〜!!


 そのとき、私の目にはたととまるものがあった。それはほかでもない、エレベーター同様、無骨でオンボロの荷物用カートであった。パニクると粗野で凶暴になってしまう私は、突如考えついた。エレベーターはボロ、カートもボロ、それにインドネシアじゃ壊れたものはまず叩いて直す。よしこれだ、もうこれしかない! そう決心した私は、カートの取っ手を両手で握り、ぴたりと閉まって黙り込んでいるドアと対峙した。そして思いっきりドアに向かって突進した。

ガンッ! オンボロドアとオンボロカートは行きよいよくぶつかってすごい音がした。すごい衝撃だった。鉄の塊と鉄の塊がぶつかり合うのだ。体に衝撃の余波がわわわぁーんと伝わってくるのは当然だろう。そしてそれは、結構気持ちのいいことでもあった。大声で叫ぶとか、物をぶつけるとか、そんなバイオレンスは日常生活にはあまりないことである。そんな感情に任せた行動は簡単にしてはならぬと日本人は躾けられている。だからこそ、大義名分あっての絶叫や暴力は、ものすごいストレス解消効果があるのだろう。

ガンッッッ! 「トローン!」 ガガンッ!! 「トロォーーン!!」 ガ、ガ、ガンッッッ!!! 「トロォォーーーン!!!」 

それはまさしく獣が檻から出たくて暴れているようであったに違いない。それをしばらく続けているうちに、さすがに鉄材相手の戦いにくたびれてきて手を休めたそのときである。A型おとめ座酉年生まれの小心者の私はあることに気付いて青ざめた。これほど派手にがんがんやっているのだ。さすがに外に聞こえて救出はされるだろう。だが、もしかすると外で大騒ぎになっているかもしれない。閑散とした時間帯といっても、空港中の人をかき集めれば、黒山の人だかり一山ぐらいはできるはずだ。しかも、閉じ込められたのは外国人らしい―というニュースがあっという間に広がって、新聞記者やらニュースの取材カメラなんかが来ていたら! 明日のじゃかるた新聞に、「閉じ込められた日本人、エレベーターを破壊」とか載ったらどうする〜! 日本人会や大使館の海外安全情報で取りあげられるのも恥ずかしい〜!!


 あ〜、今にもドアが開くかも…。開いたら目の前は人の山、好奇心にあふれた眼差し、連写されるフラッシュ…。も〜、ばかばか、こんなことなら、あくまでも空腹や孤独と戦いながら定期点検の人を待つんだった。く〜。

…と、頭を抱えたところで、エレベーターのぶ厚いドアが、がたピシという感じで開いた。今にも、「うわ〜、よう寝た〜。今起きたでー」というエレベーターの声が聞こえてくるような開き方だった。心配したドアの向こうがどんなだったかというと、説明するスペースがなくなってきたので右の絵をご参照ください。こんなもんさ、インドネシアは、ね。       
―つづく



追記:今回のエレベーターの話題は、5月初めに執筆したものです。6月に日本でおきたエレベーター事故と時期が重なりましたことをお詫び申し上げます。

 
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